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神様からの信心の試験【金光新聞】

「お話、やっぱりおまえがやってくれ」

 20年ほど前、私が父である教会長と二人で、教会のご用をさせて頂いていた時のことです。月例祭後の教話のご用は、教会長の命によって、もっぱら私の役目になっていました。
 そんなある月例祭の前日、父が「明日は、私が教話のおかげを頂く」と言ったのです。久しぶりに教話から解放されると思い、私は「はい」と返事をしました。
 ところが翌日の月例祭で、思いもかけないことが起こりました。
 祭典が終わり神前から下がろうとした時、父が擦れ違いざまに、私の耳元で「お話、やっぱりおまえがやってくれ」と、ささやいたのです。そう言って、父はぼうぜんとなった私を残してそのまま奥へ下がりました。私は頭の中が真っ白になる一方で、父への怒りが込み上げてきました。

 その気持ちを抑えながら、何とか話し始めて5分、10分と過ぎ、ようやく落ち着いて話ができるようになったところで、突然、父が現れ、「若先生、もう下がりなさい」と、一言告げたのです。
 その言葉に再びぼうぜんとなりましたが、教会長の言葉です。私は恥ずかしさと腹立たしさを覚えながらも、話を中断して広前を下がりました。
 こうして二度も理不尽な目に遭い、私の心はグチャグチャになっていましたが、信者さんが帰った後も、父からは何の言葉もありません。私も何も聞かないまま月日が流れました。

信心の試験

 父が亡くなって数年がたったある日、教祖様のご伝記にある「神様からのお試し」の事蹟を読んでいた時のことです。そこには次のような記述がありました。
 ある日、教祖様は神様から「明日は金を拾わせてやるから、西へ向かって行け」と言われました。教祖様は仰せのままに西へと歩かれましたが、お金は落ちていません。「もっと行きましょうか」と神様に伺うと「もっと行け」と言われ、とうとう笠岡まで行かれたのです。
 帰宅後、教祖様が一日のお礼を申し上げると、神様は「お金は落ちていたか」と尋ねます。教祖様が「落ちていませんでしたが、銭金に代えられないおかげを頂きました」と答えると、神様は「それはまたなぜか」と問い掛けました。
 教祖様は「常日頃、広前に座っていますが、今日は久しぶりに体を動かして足腰を伸ばさせてもらいました。ありがたいことでした」と答えられ、その言葉に、神様は「そのほうは、どちらから仕向けても、よい方へ受け取る」と告げたという事蹟です。

 果たして、こうした受け止め方、頂き方ができるものでしょうか。私なら腹を立て、神様に反問しているでしょう。しかし、教祖様はどこまでも受け切り、お礼を申していかれたのです。
 この事蹟に触れた時、かつての月例祭の場面がよみがえり、父の「お前がお話を…」という言葉は、神様からの信心のお試しだったのではないかと思えてきたのです。あの時、うろたえ、父に腹を立てている私の姿に、神様は落胆されたことでしょう。
 父が何を願っていたかは分かりませんが、神様のご用に使って頂く上で、あの時の父の言動は今日なお私にとって信心の課題となっています。ここからも、起きてくるさまざまな出来事を神様からの信心の試験と思い、その都度合格がもらえるよう、日々取り組んでいきたいと思います。
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2014/09/17 08:38:59.397 GMT+9



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