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生神金光大神大祭を迎えて─教祖漫画を刊行

金光教報 『天地』 10月号巻頭言

 悠久の天地の営みのなか、今年も実りの秋を迎え、生神金光大神大祭が、9月28日、10月1日、5日、10日の四日(よんじつ)にわたり本部広前で執り行われ、そのごひれいを頂いて、各地のお広前でも同様に仕えられる。
 教祖様ご生誕200年のお年の生神金光大神大祭に当たって、天地金乃神様のご神願とその実現のために差し向けられた教祖様のご信心の内容を、教祖様のご生涯から頂き直してまいりたい。
 昭和28年に刊行されたご伝記『金光大神』は、「金光大神御覚書」をおもな典拠とし、「教典編纂委員会資料」「小野家文書」などを補完資料として執筆されたもので、このご伝記によって、全教の信奉者は教祖金光大神様のご信心に生き生きと触れることができるようになった。そして、教祖様の実意丁寧神信心の生き方にならう信心が求められ、信奉者の信心生活、教会や教団のあり方のうえに、大きな働きがもたらされた。
 その後、教祖様のご事跡に関する調査研究が鋭意積み重ねられ、昭和五十八年の教祖百年大祭時には、現在の『金光教教典』が刊行された。この教典には、「金光大神御覚書」と共に、教祖様が生活の全面にわたって神様から頂かれたお知らせの内容を記した「お知らせ事覚帳」や、教祖様から多くの人たちに伝えられたみ教えを大成した「金光大神御理解集」が収録されている。
 以来、全教で教典を頂く営みが進められるなかで、新たな教祖伝の刊行が願われることとなり、昭和28年刊行のご伝記を基盤としながら、昭和58年に刊行された教典の内容、さらには今日まで積み重ねられてきた教祖様の事跡に関する研究成果をもとに、教祖様ご晩年のご信心も網羅する新たな教祖伝『金光大神』が50年ぶりに刊行された。
 また、昭和34年には、立教百年祭の記念として、ご伝記に書かれている内容をもとにした『教育まんが 金光さま』が刊行された。そして、このたび教祖様ご生誕200年の今年、教祖様のご誕生からご帰幽までの70年にわたるご事跡を、教祖伝をもとにたどる漫画『教祖さま─神人の道を開いた人─』が刊行された。

 ある先師は次のように述べている。
 「ただ熱心になれ、熱心になれと他から吹き込まれたところで、自分にその気がなければ、熱心になりうるものではない。よしや吹き込み的に熱心になったところで、五月幟(ごがつのぼり)の鯉(こい)と一つで、風が止んだらそれが最後である。内心から湧き出たのでなければ、刮目(かつもく)して見るような大活動がなしえられるものでもなければ、もとより人を動かし、神を動かす力もない。
 元気、内に満つれば、熱心は捨てておいてもできるものである。つまり、熱心は元気のバロメーターである。この根底の元気を養成しようと思えば、すべからく古今偉人の壮烈痛快なる事跡を思うとか、困苦艱難つぶさに辛酸(しんさん)と奮闘して玉成(ぎょくせい)した立志成功者の伝記をひもといて、暗黙の間に偉人傑士の感化を受けることが最も適当てあろうと思うが、しかし、何もこれを遠きに求めるには及ぶまい。
 このように思うのは、われわれが元気の散逸し、消沈して、自ら度(ど)しがたい時には、わが教祖の神の救世の大目的、済民の大慈悲願をうかがいまつるがよい。わが教祖の神は、実(げ)にも世の光である、人の力である。われわれはこの絶大無限の力を有し、永世不朽の霊光を輝かしたまう、この教祖の神を信じ、これを追懐する。すなわち、教祖のご伝記を体読することによって、無限の慰藉(いしゃ)も得られる、絶大の力をも得られるではないか。われわれ、かくのごとく、千載一遇、天地無双の光栄と幸福とを有する人生の幸運児である。何をか苦しんで、敢えて他にこれを求める必要があろうぞ」

 これは、明治41年に書かれたものである。私たちがご伝記という言葉でイメージする『金光大神』が刊行されたのは、戦後の昭和28年のことであり、当時は、早川督による『天地金の大神』や、碧瑠璃園による『金光教祖』もまだ刊行されていなかった頃のことである。今日の私たちは、教典をはじめとして、教祖伝『金光大神』やこのたび刊行された漫画『教祖さま─神人の道を開いた人─』などをとおして、明治期から最晩年までの教祖様のご生涯について、容易に詳しく知ることができる。
 「わが教祖の神の救世の大目的、済民の大慈悲願をうかがいまつる」こと、今日的に言えば、天地金乃神様のご神願、教祖様のご立教の精神を、先人たち以上に自分の心に頂くことができるだけのものを頂いている。「神の仰せどおり、なにかによらず、そむかず」との神様へのご姿勢をもって、「天地乃神の道を教える生神金光大神社を立てぬ」かれた教祖様のご生涯を頂くことにより、外から促されてのものではなく、自分の心のうちからの「熱心」を引き出すことにならせていただきたい。そして、「何事も神の理解承り、承服いたせば安心になり」と仰せられるこの道の信心を伝えていくことに、心からの喜びをもって取り組ませていただきたいと願うものである。

投稿日時:2014/10/02 10:38:48.930 GMT+9



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