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信仰支えに老いの人生【金光新聞】

自分のことは自分で

 都心の商店街の中にある金光教の教会前に、昭和27年から続くそば屋がありました。
 そのそば屋は、おトキばあさん(明治41年生まれ)とその息子夫婦が力を合わせて切り盛りしていました。昼時にはアルバイトを雇うほどのにぎわいを見せ、教会の月例祭や大祭時には、信者さんで混雑することもしばしばでした。
 そんな平成元年のある日、80歳を迎えたおトキばあさんが脳梗塞で倒れました。
 左半身に後遺症が残りましたが、大事には至らず、病後はできる限り自分のことは自分でするよう努力しました。

 おトキばあさんは、いわゆる信仰心があつく、元気なころは、1時間以上もかかるお寺やお不動さんに熱心に参拝していましたが、目の前の金光教の教会へお参りしたことはありませんでした。
 ところで、息子夫婦には子どもがありませんでした。おトキばあさんは息子夫婦の将来を考えると、信仰を心のよりどころにした生き方をしてほしいと思い始め、その思いは、自分が病気になったことでいよいよ強くなっていきました。
 そうしたころ、教会の建物が新築されました。建物の外壁に掲げられた八波(やつなみ/金光教の紋章)を日々、目にするようになったおトキばあさんは、心に感じるものがあって、次第に金光教を意識するようになりました。
 そして、まず自分が金光教の信心をしてみようと思い立ち、嫁の正子さん(当時50)に手を取ってもらい、左足を引きずるようにして、初めて向かいにある教会に参拝しました。
 その後も毎日、自宅の2階の窓から、教会の八波のご紋に向かって手を合わせていました。

近所の人たちに気功を

 一方、それまで家族3人の協力によって回っていたそば屋は、おトキばあさんが店に出られなくなったことで次第にリズムが崩れていき、とうとう平成10年に閉店することになりました。
 さらにその数日後には、息子(正子さんの夫/ 65)が病気で入院してしまったのです。おトキばあさんは正子さんに、教会へ毎日参拝して夫の病気回復を願うよう、よくよく話し、正子さんはそれを素直に受け止め、参拝を始めました。
 しかし、入院から数日後に正子さんの夫は亡くなってしまいました。
 正子さんは途方に暮れましたが、ここで自分がしっかりしなければと思い、教会参拝を通して信心を進めていきました。
 そうして一念発起し、そば屋だったスペースを利用して、趣味で培った経験を生かして近所の人たちに気功を教えることにしたのです。
 気功教室には、曜日ごとに違う顔触れが集まりました。気功の発声では、「生神金光大神様」と声を出してリズムを取り、「ありがとう」「あいよかけよ」と、金光教の教えを口にしながら、気功に集う人たちは体を動かしました。

 そうして1年が過ぎた平成11年の夏、おトキばあさんは老衰のため亡くなりました。
 いよいよ正子さんは独りぼっちになりましたが、その後、約10年間にわたって気功を教え続けることができました。
 正子さんは75歳になった今も、毎日、元気に教会へ参拝しています。
 教会の清掃のご用に欠かすことなく取り組むなど、その姿は周りの皆さんに元気を与えています。
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2014/11/05 16:29:27.966 GMT+9



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