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夫婦で補い支え合って【金光新聞】

父親の細腕に気づいて

 信心を頂く家庭に生を受けた克夫さんは、生後間もなく高熱に侵されたことから、手足の機能が奪われ、その後の人生を重度の身体障害者として送ることを余儀なくされました。
 やがて、5人のきょうだいたちはそれぞれ結婚していき、実家で暮らすのは両親と克夫さんだけになりました。両親は教会参拝を通して、克夫さんが将来立ち行くようにと、一心に願い続けました。
 克夫さんが40歳の時、母親が亡くなり、それからは父親と二人だけの生活になりました。

 そんなある日、いつものように父親に風呂に入れてもらった時のこと。父親の腕を見て、克夫さんははっとさせられました。それは、たくましかった腕が随分細くなっていることに気付いたからでした。
 「父さん、済まない」と、心で手を合わせながら、「私に何ができるのでしょうか」と、神様に問わずにいられませんでした。そのうちに、あることを思い付いたのです。
 それは、普段から聞いていたラジオの歌番組にリクエスト曲を投稿することでした。
 早速、ペンを口にくわえて、はがきにリクエスト曲を書くと、その横に、「私は生まれて一歩も歩いたことがありません。どなたか話し相手になってくれませんか」というメッセージを書き添えました。投稿が採用される保証はありませんが、それでも何かをしたいと考えた上での行動でした。
 数日後、その願いは神様に届き、ラジオでリクエスト曲が読まれ、その後に克夫さんのメッセージが紹介されました。

ラジオ番組を通しての出会い

 さて、この番組を聞いていた人の中に、明代さん(当時28)がいました。明代さんは3歳のころ、視力を失いました。また、母親を早くに亡くし、父親はその後蒸発。継母に育てられ、小学校から高校までを盲学校の寄宿舎で過ごし、マッサージ師の資格を習得しました。卒業後は、自宅の一室をマッサージの仕事場として、継母と暮らしていました。明代さんは、「自分ほど不幸な人間はいない」と思いながら、日々を送っていました。
 その日も、いつものようにラジオを聞きながら仕事をしていると、克夫さんのメッセージが流れてきたのです。「歩けないって、どういうことだろう」。明代さんは、メッセージの内容がなぜかとても気に掛かり、放送局に問い合わせて克夫さんの連絡先を教えてもらうと、思い切って電話をかけたのでした。それをきっかけに、電話での交際が始まり、互いに信頼を深め合っていきました。そして、約1年間の交際を経て、二人は結婚することになりました。
 その翌年、克夫さんの父親は、長年の願いがかなったことを神様に感謝し、二人が助け合って暮らす姿を見ながら、心穏やかに神様の元へと旅立っていきました。

 あれから40年、二人は足りないところを補い、支え合って暮らしました。二人でいるからこそ、できることが広がったことを心から喜びながら、車椅子に乗った克夫さんの声を頼りに、明代さんがその車椅子を押して教会参拝を続けました。また、毎年団体列車で本部参拝にも取り組み、その仲むつまじく助け合う姿は、周りの人たちに元気を与えていました。
 昨年、克夫さんは83歳で亡くなりましたが、明代さんは周りの人たちの助けを得ながら、克夫さんのみたまと共に教会参拝に励んでいます。

メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2015/01/20 13:39:27.254 GMT+9



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