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天地金乃神大祭を迎えて

金光教報 『天地』 4月号巻頭言

 柔らかい日差しも、頬をなでる風の動きも春である。草木の芽が萌え出で、新しい息吹きを感じさせる季節が巡ってきた。
 天地金乃神大祭が、今年は3月29日、4月2日、5日と本部広前祭場で執り行われ、そのご比礼を頂いて、日本国内各地、世界各地のお広前でも同じ願いのもと、同様に仕えられる。お隣の韓国にあるソウル活動センターにおいても、4月18日、天地金乃神大祭が仕えられ、合わせて韓国金光教設立15年の記念の祭典が仕えられる。朝鮮の地においては、明治36年から昭和17年までに41の教会が設立され、「世間になんぼうも難儀(なんぎ)な氏子あり、取次ぎ助けてやってくれ」との天地金乃神様のみ思いを頂き、「神も助かり氏子も立ち行く」世界の顕現を願い、先師先人がご用をすすめられた。その後、戦後50年ほどの空白の時期もあったが、平成12年、金光大神様のお広前が再開され、韓国の方々が生神金光大神取次によって助けられ、お育てを頂き、天地金乃神大祭が本部広前と同じ願いのもとに仕えられていることは真にありがたいことである。
 「天と地の間に人間がいる。天は父、地は母である。人間、また草木など、みな天の恵みを受けて、地上に生きているのである」「世界中、天が下の者は、みな天地金乃神の子である。天地金乃神のおかげは世界にいっぱい満ちている。そのおかげがなければ空気がないのと同じで、人間は一時も生きてはいられない」と教祖様はみ教えくださっている。万物は、天地の大いなるいのちのなかで、等しくお恵みを受け、生かされて生きている。天地金乃神様は天地万有を生かす無限のはたらきであり、人間をはじめ万物のいのちの根源であり、人間を神の氏子として愛してやまず、人間が助かり立ち行くことを、ひたすら願っておられる親神様である。しかし、人間は、この天地の道理を知らず、「わが力で何事もやり」という人間中心、自己中心のあり方に陥り難儀をしている。人間の難儀は神の苦しみであり、人間が助かることが神も助かることである。親神様は神と人を結び、神と人とが、共に助かる神願を実現していくため、生神金光大神様を人の世に差し向けられ、その生神金光大神取次のお働きによって私たちは、救い助けられている。更に、人間は神の心を分け与えられ、その神心のはたらきによって神の願いを現してほしいと親神様より願いをかけられている私たちでもある。
 万葉の歌人、山上憶良がこのような歌を詠んでいる。
 「瓜(うり)食(は)めば 子ども思ほゆ 栗(くり)食めば まして偲(しぬ)はゆ  何処(いづく)より 来たりしものそ 眼交(まかない)に もとな懸(かか)りて 安眠(やすい)し寝(な)さぬ」
 「瓜を食べれば、あの子に食べさせてあげればさぞ喜ぶだろう。元気にしているだろうか。栗を食べれば、まして子どものことが思われる。はて、この子を想う、人を想う心、人を祈る心、これはなんとありがたい心であろうか。とても自分の心とは思えない。この心はどこから来たのであろうか。誰から頂いたものであろうか」と詠まれているのであろう。憶良は人が神の子であり、神の心を頂いているということを知らなかったであろう。けれども自分の心の中に大変なものを頂いていることに気づいている。確かに憶良の心に神が生まれくださっている。この頂いている神の心を信心の稽古、信心実践で育み、そして、人を生かし、ものを生かし、我を生かし、人を助け我も助かる生き方をすすめることが、お道の信心の大きな柱のひとつであろう。
 近藤藤守師が「明石で烏(からす)をおとりにして雀(すずめ)を捕っていました。杭(くい)を打って烏をつなぎ、その前にえさをまいて、烏がいるからと雀が安心して来たところを、かすみ網をかけておりました。かわいそうなことをすると思いました」と申しあげたら、教祖様は、「かわいいと思う心が、そのまま神である。それが神である」と仰せられた。
 また、「今日は結構なおかげを受けたなあ。真にかわいいの心から、わが身を忘れて人を助ける、そのかわいいと思う心が神心じゃ。その神心におかげがいただけるのぞ。それが信心ぞ」「あなたも、神様の仰せどおり真(まこと)一心に神信心しておかげを受け、人を助けて神にならせてもらうがよい」とみ教えくださっている。
 天地金乃神大祭をお迎えするに当たり、あらためてそのお徳のなかに生かされて生きる喜びを確かにするとともに、天地金乃神様のご神願と教祖金光大神様のご信心をよりいっそうわが身に頂き直し、日々の生活のなかに神を現して、「世界の平和と人類の助かり」実現のお役に立たせていただきたいと願うものである。

投稿日時:2015/04/01 10:11:54.170 GMT+9



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