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ごみ拾い通じ心に変化【金光新聞】

教会周辺のごみ拾いを始めて

 私が奉仕する教会の周辺では、嘔吐(おうと)物やごみのポイ捨てが絶えません。こうしたごみの多さは、教会が駅や商業地区に隣接しているからかもしれませんが、何とかならないものかとずっと気に掛かっていました。
 ある朝、お向かいの自治会長さんが表通りのごみ拾いをしている姿が目に留まり、ごみが気になるなら私もさせてもらえば良いだけだと思って、私も表通りのごみ拾いを始めることにしました。
 やがて、表通りのごみ拾いにも慣れてくると、掃除の範囲が自然と、表通りから人目の届きにくい裏の緑道へと広がっていきました。

 そこには、自転車やバイク、不燃物や使用済みのおむつ、中には、ペットと思われる動物の死骸など、信じられないようなものが捨ててありました。「不法投棄禁止」と書かれた看板の下には、その表示とは裏腹に大量のごみが捨てられていました。さすがに、大量のごみと、生い茂る草を取り除くには何日も要しましたが、やがてはきれいな緑道が戻ってきました。
 残念ながら、ごみを撤去しても、翌朝にはまた新たなごみが捨てられています。しかし、ごみがあるとごみは捨てられやすくなるため、私はきれいにした状態を維持することにしました。

自分の心と、捨てる人の心の変化

 掃除をしながら自分の心をよくよく観察すると、雑草や落ち葉といった自然界の物はあまり気にならないのですが、人が捨てたごみは、どうも気になって仕方がありませんでした。そこには、必要な時には大切にする一方、用がなくなったら本来、捨てるべきではない場所に捨ててしまう人間の身勝手さを感じていたからかもしれません。
 ところが、続けているうちに、ある朝ふと「神様は、ごみを捨てる人の心も、ごみを拾う人の心も、共に助かっていくことを願っておられる」のではないかという思いが頭をよぎり、同じするなら神様のご用として、利用者に気持ちよく通ってもらえるよう取り組むことにしました。
 毎朝決まった時間に清掃をしていると、当然、通りを行き交う人とも顔見知りになります。犬の散歩をしている人、早朝のスーパーの警備員さんや自転車整理のおじさん、通勤通学の人たち。いずれもあいさつや会釈を交わし合うだけで名前も知りませんが、時に「ここから先はやっておいたわよ」と声を掛けてくださる方や、少し時間がずれて顔を合わさない日が続くと、「病気をしたのかと思った」と心配してくださる方も現れてきました。

 ごみ拾いに対する私の心が変わってから、3年がたちました。ポイ捨てや不法投棄は随分と減り、どこかよどんでいた朝の空気もすがすがしく、さらには、ごみを捨てる人の心も変わってきたことに気が付きました。
 歩きながらたばこを吸う若者が、急いでたばこを後ろに隠すようにして照れ笑いであいさつしてくれたり、食べ歩きをしている中学生たちが「ごみ拾ってくれてるんやから、捨てんとこ」と言う会話までが聞こえてくるようになったからです。
 振り返ってみると、私の心が変わることで、変わることはないと思っていた、ごみを捨てる人の心まで変わったのです。私は、そんな変化に神様が喜んでおられることを感じながら、今も楽しく、ありがたい気持ちで、毎朝ごみ拾いを続けています。


※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。


(金光新聞「心に届く信心真話」2014年4月27日号掲載)

メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2015/05/07 09:00:00.000 GMT+9



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