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この子は神が欲しい子【金光新聞】

母が信じる神様がそこまでおっしゃるのなら

 私(65)が婚家に来て、40数年がたちました。
 婚家は信心にあつい家でしたが、この縁談話が出た当時、私自身は信心に特別な関心はありませんでした。私はやっていけるのかと心配で、迷いましたが、婚家からはぜひにと請われました。
 そんな折、熱心な信者だった実家の母に、信心仲間の方が、「『この子(私のこと)は神が欲しい子じゃ。その家に嫁いで、よかったと思える日が必ず来る』と、神様が仰せじゃがなあ」と言ったのです。私はそのことを母から聞き、母が信じる神様がそこまでおっしゃるのなら、これからの人生を懸けてみようと決心をしたのです。
 その1カ月後には結婚し、8人家族での生活が始まりました。やがて子どもを授かり生活にも慣れていく一方で、さまざまな問題や周りとの行き違いなどが次々と表面化し、独りで思い悩むようになりました。

 ある日、思い余って実家の母に電話をかけました。母は私の話すことを最後まで黙って聞き、そして教祖様のみ教えを母なりに説いて聞かせてくれました。
 しかし、慰められるのを期待していた私の心には、何も響きませんでした。
 その後も何度となく電話をする私に、母は辛抱強くその時々に合ったみ教えを一生懸命、話して聞かせ続けてくれ、神様に心を向けておすがりすることを、じゅんじゅんと教えてくれました。そのうちに、母の言葉が次第に私の耳に留まり、心に残るようにもなりました。

 私は毎日、夜が更けるとお灯明の明かりだけのご神前に向かい、一人ひそかに自分の思いを神様に語り掛けるように、時には訴えるようにご祈念しました。気持ちが落ち着かない時も、その場にじっと座っていると、だんだんと心が静まるのを感じました。しかし、また苦に思うことに出合うと、心が揺れることもたびたびありました。
 そんなある日、母に電話をすると、「あんたな、人は変えられんのやで。自分が変わらななあ。神様は全てご存じやで」と言われ、その言葉がこの時の私の心に強く響きました。

言葉では言い尽くせない思い

 その後も、私自身の病気や子どもとの死別など、つらく悲しい出来事に直面していく中でも、私に結婚を決意させた神様のお言葉が、いつも私の支えでした。
 だから、どんなことがあっても、ひたすら神様に心を向け、神様を信じ、すがり通して、先を楽しみにすることができたのだと思います。母はいつもそんな私のことを励まし、見守り導き、祈り続けてくれました。
 そうした年月を重ねていく中で、母が私に掛けてくれた思いと、私のわが子を思う気持ちを重ね合わせながら、神様が私に掛けてくださるみ心の深さに思いが至るようになり、ただありがたくて、もったいなくて、言葉では言い尽くせない思いでいっぱいになりました。
 そうして、これまでの歩みの一つ一つに神様のお働きを頂いてきたからこそ、今の私があるのだと、心からお礼が申せるようになりました。
 私に結婚を決意させ、これまでずっと私を支えてくれたお言葉に込められた神様の願いは、私の心の助かりだったと思います。長い歳月を経て、やっとそのおかげを頂くことができました。
 私はこの家に嫁いできたことを、今は素直に喜んでいます。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

(金光新聞「心に届く信心真話」2014年8月3日号掲載)


メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2015/11/20 16:24:13.339 GMT+9



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