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本年を振り返って

金光教報 『天地』12月号 巻頭言

 本年もはや12月を迎え、残すところわずかとなり、来る13日には布教功労者報徳祭並びに金光真心高清姫百年祭が仕えられる。
 本年は戦後70年、被爆70年という年にあたり、あらためて本教の平和観を考えることを願いに、現代社会問題研究及び政治社会問題協議会の取り組みとして公開講演会を7月と11月の2回開催し、また東京、広島、山口、長崎などにおいて平和祈願祭や平和集会が開催された。
 こうした取り組みとともに、あらためて戦後70年の本教の歩みを総括的・反省的に振り返りながら、ここからさらに一人ひとりの信心生活が展開し、神様のごひれい輝く教団としておかげをこうむっていくために、教団、教会はどうあるべきかを求めて教団展望懇談会を開催した。そうして見えてきたものは、「世界の平和と人類の助かり」に貢献する教団でありたいと、「信心の興隆と布教の展開」を願って諸活動を進めてきた教団の営みであり、そのことを戦後一貫して「信心の一新」の取り組みと合わせて、願い続けられ求め続けられたということである。このことは、これからも継続されていくべきものであり、そのうえで、「信心の一新」を今日に実現していくために「取次を実践していく」ことと「天地書附を体する」ことが本教信心の中心生命として一つ事であると確認し直し、実践していくことが求められるように思われる。
 また、本年新たな取り組みとして、次代を担う世代がご霊地に集いご神願と生神金光大神取次の意義と働きを求め、結界取次の充実と「運動」の推進に努めていくとともにここからの教団・教会の姿を求め合うことを願って、「青壮年教師研修会」を開催した。2回にわたる研修会を、あえて期間を置くことによって参加者それぞれが信行課題を実践し、そのことをとおしてご神願をわが願いとなし、生神金光大神取次の意義を確かにし、その働きをいかに具体的にあらわしていくかを求めあった。
 さらには「神人あいよかけよの生活運動」では、願いの3行目「お礼と喜びの生活をすすめ」に焦点をあてて取り組むこととした。一人ひとりが神様にお喜びいただけるような信心へ展開していくよう、これまでの信心生活を見つめ直し、拡充していくためのあり方を求めた。
 こうした本年の取り組みも、どこまでも神様の願いみ思いはどこにあるのかを求め続けての営みであり、教祖様が願い続け求め続けられた「人が助かりさえすれば」をいかにして今日の時代社会において具現化できるかとの歩みであったともいえる。
 そして、その取り組みは、それぞれの広前において、結界取次を中心とした働きのなかで常に求め続け現し続けられてきていることであり、それはまさに教祖様の願いを各地で受け現そうとされた初代をはじめ歴代の師たちの願いを受け継いでのものであろう。
 それぞれの時代において、厳しい実情の中身は違うものの、絶えず神様のみ思いを求め、人が助かる広前のありようを求め続けられた先覚先師たちの歩みは今を生きる私たちに問いかけ揺さぶるものがある。
 ある先師は、師匠から「金と物を持って出るなよ。金と物とを持って出ると、金と物に頼る。頼ったら次第に減っていく。そうなると寂しくなる」とのみ教えを頂き布教に出た。けれども、さまざまな問題が次々と起こるなかに、身も心も行き詰まってしまい、神様の前に座ってご祈念をさせていただこうとしても無気力となって力が出ず、修行中はあれほどありがたかった自分が、少しもありがたいという思いがなくなったという。参拝する信者はいなくなり、ついに思い余って三代金光様に手紙で「金光様、少しもありがとうありません。教師を辞めたがご神意か、それともこのまま座っていることがご神意でしょうか。ここはご神意に従うよりほかに道はありません」とお取次をお願いさせていただくと、金光様から「一心におすがり申せば万事みかげになります」とのお言葉を頂かれたという。
 師はそのことから「一心にすがれば、罪もめぐりもご無礼もお粗末も、何もかもおかげになる。おかげの神様を見放してはならない。どこまでも天地金乃神様は氏子が中心であり、自分が神様の一部分であり、自分の家、屋敷が天地の一部分である。神様の一部分が自分であるなら、自分が助からなければ神様が助かるはずはない」との思いを強くされ、神様のみ心み思いを深く味わわれ、そこからいっそうに信心を進められ道が開けたという。
 目の前の起こり来る現実の厳しさは、時に神様への絶対信を揺るがし、さらには疑念すら浮かばせ、人が助かるべき広前のありようを求める前に、自身の問題の解決のみに心奪われることすらある。それは、今も昔も変わりない。けれども問題を神様からのお差し向けとして味わい信心辛抱していく先に、神様の「氏子助かってくれ」との深いみ思いがわからされ、信心の稽古をとおして歩み続ける先に必ず立ち行く道が確かに生まれてくることを先師達の歩みが指し示してくれている。
 本教の現状には厳しいものがあるが、それでもここから展開していくための基はどこまでも一人ひとりが信心実践を進めて行くことを抜きにはない。その自覚を強くし、来る年に思いを新たにして取り組みたいものである。

投稿日時:2015/12/01 09:00:00.000 GMT+9



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