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平成28年の新春を迎えて

金光教報 『天地』 1月号 巻頭言

 天地のお働きのなかで、今月今日の命と生活を頂き、共々に平成28年の新春を迎えさせていただいたことは、誠にありがたいことである。
 昨年は、戦後70年の節を迎え、「世界の平和と人類の助かり」に貢献する教団との願いを新たに、諸活動に取り組ませてもらった。その一方で、社会に目を向けると、世界では、宗教や文化の違い、また、国家間の経済格差や人種差別などに起因する紛争やテロが頻発し、国内でも、人命を軽視した事件が続発している。その背景には、様々な事情や問題があると思われるが、そうした現実に出遭わされるにつけ、思い起こされたのは、かつてアメリカのシカゴ大学教授で、世界宣教研究所長のビーバー博士が、金光教本部を訪問された時のことである。
 ビーバー博士は、三代金光攝胤様に、「日本の人々だけではなく、世界中の人々に対して、何かメッセージがありましたらお聞かせください」と言われた。現在、世界の平和が不安定である。戦争が起きてはならぬが、どうしたらよいか。また、世界の人々の生活に不平等があり、さらに人種に差別があり、それが大きな問題になっている。そういう問題について何かメッセージがあれば聞かせてもらいたいと言われ、それに対して金光様は、「いろいろ願いがありますから、そのご都合が頂かれますよう、お願いいたしております」とお答えになられた。
 ここで金光様は、日頃お祈りになっているところを、率直に、ありのままにおっしゃった。言い換えれば、教祖様以来、「世間になんぼうも難儀な氏子あり、取次ぎ助けてやってくれ」との神様のみ心を受けて始められ、進められてきた取次の実践を、14歳の時から、日々のご祈念、御取次として行じていかれ、戦後は、「新日本の再建、天下総氏子の安全、世界真の平和実現」との願いを新たに深めていかれた三代金光様が、そのご神勤のなかにお生まれになった「取次の心」を、そのままにお示しくださったものと頂くことができよう。
 このお言葉について、本教関係者で、宗教学者の荒木美智雄氏は、「金光様の願いの中身は、はるかに日本の各宗教を超え、キリスト教を超え、すべての宗教の、そしてありとあらゆる人の願いに開かれている」と指摘されている。
 「開かれている」とは、すべての人、どんな願いも、「神の氏子」の願いとして受け入れるということであり、そのように「ありとあらゆる人の願い」を受け止めていくところには、対立も、対抗も生まれようがなく、そこに生まれてくるのは、「いろいろと願いがありますから、ご都合、お繰り合わせを頂かれますよう、お願いしております」という祈りであって、その祈りには「すべての枠を越えゆく大きさ」があるということ。本教は、それ程に大きな祈りに包まれているということであり、そのことにお道の尊さ、ありがたさを思わせられるのである。
 さらに、三代金光様のみ後を受けて取次の実践をお進め下さった四代金光鑑太郎様は、「世話になるすべてに礼をいふこころ人が助かり立ちゆくこころ」「世話になるすべてに礼をいふこころ平和生み出すこころといはん」というお歌をお詠みになっている。そして、この「世話になるすべてに礼をいふこころ」について、次のようにご理解くださっている。
 人間は、今日までの歴史のなかで、誰一人として、自分で生んでくれと言って生まれてきた人はいない。「天地のお働き、恵みのなかに、命の働きが、ずっとおかげを頂いてきて」、生まれた所や時や、いろんなことに違いはあっても、「親の子として、恵みのなかにお世話になって、命を頂いて生まれてきた」ということは皆同じであり、それが「人間の出発」であると思われる。そのようなお互いが、「恵みのなかにお世話になって生まれてきたことにお礼を申す」ことは、人間として当たりの前のことではないか、と。
 また、誰もが歩む喜怒哀楽の人生について、天地の恵みのなかに生まれてきた命が、たとえば「目が覚めることができた。食事を頂くことができた。歩くことができた」というように、皆「できた」ということで成り立っている。人は「した」と言うけれども、「おかげで、お世話になって、することができたということを、したと表現しているだけで」、中身は、そういうことであり、そのことにもお礼を申しながら人生を歩んでいくことが大切である、と。
 さらに、人間は、お世話になることに慣れると、お礼を言うことを怠りがちになる。お世話になってありがたいという生き方にならずに、当たり前のこととして過ごしていく生き方になりやすい。慣れなければならないけれど、慣れることによってまた誤ちが起こるということを自戒している、と。
 つまり、私たち一人ひとりは、天地のお働きのなかに、尊い命を頂いて生まれ、恵みのなかに生かされて生きているお互いであり、そのお互いがお世話になりあって生活させていただいているということ。そのことに気付かせられ、「ありがたい」と思える心が生まれ、お礼を土台とした生活が始まれば、そこに神様のお喜びが生まれ、「人が助かり立ちゆく」道が開かれてくる。しかも、そのような生き方には、人を責める心もなく、争い事も起こらず、それがそのまま「平和を生み出すこころ」になると、お示しくださっているのである。
 お道の根幹は、どこまでも「難儀な氏子」を「取次ぎ助ける」という取次の実践を基本として、今日の社会に「神人の道」を実現していくことであり、そのためにも、共々に、ここから一年、お世話になって「ありがたい」と思える心を大切に、お礼と喜びの生活を進め、「神人の道」を開くおかげをこうむらせていただきたい。

投稿日時:2016/01/03 14:27:35.450 GMT+9



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