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教主選挙と推戴について

金光教報 『天地』2月号 巻頭言

 教主金光様には、3月26日をもって5期目の任期を満了される。平成3年1月、前教主金光鑑太郎君ご帰幽の後、教主選挙、推戴を経て、全教の願いをお受けくださり、教主としてお立ちくださって5期25年の長きにわたり、教団を統理くださり、本部広前において、教祖様に始まり歴代金光様が承継されてきた生神金光大神取次の業を現し続けてきてくださったことは、全教信奉者にとって誠にもったいなくもありがたいことである。

 来たる2月15日、教規の定めに従って、教団にとって大切な教主選挙を執り行わせていただく。これは、全教信奉者の願いを選挙という形をもって表し、教主にご推戴申し上げるということであり、全教の者が、この方の御取次をいただいて信心を進め、おかげをこうむってまいりたいとの願いの表明である。
 教会長は、教会信奉者の願いを受け、その代表として選挙を行い、その全教の願いを受けて、教務総長が教主への就任をご承諾くださるようお願い申し上げ、それをお受けくださって初めて、教主推戴のことが成就するのである。
 奇しくも、今年は本教にとって、教主制度が定まって以来70年という大きな節目の年を迎えている。それまでの教団は、神道金光教会の一時期を除いて、一教独立以来、国家の宗教政策による管長制度により運営されてきた。管長制度とは、「国家が直接宗教を支配するかわりに、各宗教に管長という責任者をおかせる。そして、その管長にその宗教の運営をしていく権限を与え、人事を行う権限を与える。しかし、その管長になることについても、権限を行うことについても、一切認可を受けさせる。こういう仕組みで間接に宗教を支配する。統制するわけです」(昭和37年8月「教規の精神を正しく深く理解するために」大淵千仞師講演記録)といわれるものであった。

 一般に宗教教団というものは、その宗教独自の意義や目的を持ち、その宗教的権威を中心に信仰が営まれ、教団が運営されていくものである。そこに国家の権力が加わるのであるから、必然的に二元的な構造にならざるを得なくなり、さまざまな問題が起きてくることになる。本教も昭和9、10年の、後に教団自覚運動と呼ばれるようになる事件を通してその問題に直面することとなるのである。
 先人たちは、この問題に直面し、取り組む中に、本教の中心は教祖広前に始まり、歴代金光様が本部広前にあって一日として休むことなく現し続けてくださっている生神金光大神取次にあることを自覚し、それを中心に信心を進め、教団が運営されることを切願されたのであるが、そのことが名実ともに実現したのは、昭和20年の敗戦によって国家の宗教統制がなくなり、信教の自由が認められてからのことであった。
 昭和21年、金光教教規が改正され、それまでの管長制から教主制に変わり、全教の教会長が「この方の御取次をいただき、この方に教団を統理していただきたい」との願いを込めて選挙し、教監(教務総長)がその結果を受けて、ご当選なさった方をご推戴申し上げ、そのご承諾を得て教主にご就任いただくという、現在の形になったのである。

 昨年末の第51回通常教団会での教務総長説明において、教主選挙について、「教祖様が、神様のお頼みを受けられて、家業をやめて御取次に専念されることとなり、そこに教祖広前が生まれ、多くの人が助けられることになり、その中からまた取次に従う人々が生まれて、今日の教団に展開したのであります。教祖広前が教団のできる元であり、その御取次が代を重ねて受け継がれて、今日の教団があります。これが教団と教会の基本構造でありまして、教主選挙をとおしてあらためて、教主金光様のお徳とご内容をいっそうに頂き、本教信仰の中心は、ご霊地と本部広前の御取次、教主統理の下にあるとの自覚を深めていくことがいよいよ大切であると存じます」と述べている。 
 教主制度が定められて70年という大きな節目の年の教主選挙である。先人たちの、このお道にかけられた願いとご苦労に思いをいたすとともに、本教の基盤に培う大切なこととして、このたびの教主選挙を執り行わせていただきたい。

投稿日時:2016/02/01 09:00:00.000 GMT+9



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