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祈りに導かれ人を祈る【金光新聞】

婚家に来たのが金光教との出合い

 これまで病気とは縁のなかった私(66)でしたが、肺がんと乳がんを同時に発病しました。
 がんの手術を無事に終え、現在は通院して抗がん剤治療を受けています。その帰りには、教会の月例祭で典楽のご用をするなど、これまでと変わりなく生活させて頂いています。ありがたいことに、がんだと分かってから現在まで、不思議と不安はありません。お道の信心があってこそのことで、本当にありがたいです。

 私が金光教とのご縁を得たのは、お道の信心にあつい婚家に来てからです。義母の物腰柔らかく温厚な人柄に引かれ、夫と共に教会に参拝するようになりました。教会の先生や信者さんたちも若かった私を喜んで迎えてくださいました。
 教会の先生からは、「人間は天地のお恵みを受けて生かされている」ことを教えてもらいました。とはいえ、当初はそのことをなかなか実感できませんでしたが、教会の隅々まで掃除が行き届き、ご神前にはお花やお水が丁寧にお供えされている様子や、朝日を遙拝(ようはい)する信者さんの姿などを通して、日に日に天地のお恵みのありがたさが感じられるようになっていきました。
 やがて長男を妊娠し、つわりのひどい時には教会の先生から、「自分の力では子は産めません。神様のおかげを頂けるよう、お願いしましょう」と教えを受けました。そうして無事に長男を出産した後、さらに2人の子どもを授かりました。

先輩方に祈られている自覚

 共働きで生活に追われながらも、子育てをはじめ、生活上の事柄の一つ一つにお取次を頂きながら日々を送りました。
 とりわけ、末娘のことを神様に祈っていく中で、私自身を見詰め直すことができました。娘は、自己主張が少し強く、話していると私はいらいらして声を荒げてしまうことも度々でした。高校生の時には、ある問題を起こして学校から呼び出され、私たち親が頭を下げることもありました。
 私は自分が正しいと思うと、その思いを周りにも押し付け、人を変えようとしていました。教会で先生は、「問題に目を向けるのではなく、あなたの心がおかげを頂くように」と常に教導し、祈ってくださいました。そうした毎日のお取次を通して、自分の力で生きているように思っていたことに気付き、神様のお守りとお導きの中で生かされていることを分からされていきました。
 そうして、子ども3人はやがて自立し、夫も元気に定年まで勤めさせてもらいました。気が付けば初参拝から40年という歳月が流れていました。今では子どもや孫たちも教会に参拝して、お取次を頂いてくれています。

 さらに、私の信心を育ててくれたのは、同じ教会でおかげを受けてきた信心の先輩方です。私と同じがんを克服して今も元気に参拝している先輩や、重病を抱えながらも人のことを祈り、感謝の念を忘れずに亡くなっていった先輩。こうした先輩方に祈られている自覚が、私に人のことを祈ることを促しました。今ではご縁を頂いた方々のことを祈ることが先で、自分の病気を心配する暇がないくらいです。
 ここまで来るのに教会の先生は毎日、私たち家族を迎え、立ち行くよう祈ってくださいました。今度は私が、若い方や未信奉者に信心の喜びの心を伝えていく番だと思っています。


※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

(金光新聞「心に届く信心真話」2014年11月16日号掲載)
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2016/02/18 09:25:44.708 GMT+9



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