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今に続く亡母の見守り【金光新聞】

思いがけない父の入院に金光教学院へ

 今から56年前、母は生後間もない私を残し、27歳で他界しました。
 金光教教師の父は、とてもつらかったのでしょう。以来、お酒を手放せなくなりました。私はそんな父が嫌で、高校を卒業したら教会を出て働くと心に決めていました。やがて、高校3年生の秋を迎え、進路を決定する時期になりました。
 ここで思いがけないことが起こりました。父が肝硬変の疑いで、急きょ入院したのです。そんな中で、いよいよ進路を決める日、私は進路指導の先生に「金光教学院(金光教教師の養成機関)へ行きます」と、思わず口走っていました。
 程なくして、父は検査だけで退院してきました。今思うと、あの時の父の入院が、私の金光教教師としての人生を決めたのであり、なんとも不思議でなりません。
 その後、母の20年祭では、教師になったばかりの私も祭員としてご用に立たせて頂きました。この時は、生後間もなく死別し全く記憶のない母に対して、特別な感情は湧きませんでした。

 やがて、私は結婚し、母の35年祭は妻と子と共に迎えました。また、初めて祭主としてこの年祭をお仕えさせてもらいました。
 その祭典中、祭詞を奏上しようとした時のことです。私の背後で子をあやしながら参拝する妻の姿と、幼い私を残して逝かざるを得なかった亡き母の思いが、私の中で重なり、胸に熱いものが込み上げてきたのです。
 その瞬間、「お母さん、今日まで済みませんでした」 という思いと、 「ありがとうございました」という思いが交錯し、涙があふれ出ました。
 この年祭を機に、私の心の奥底に沈んでいた父への複雑な思いがスッと消えて、父への感謝の念が生まれ、晴れやかな気持ちになりました。

霊祭前日に背中の強烈な痛み

 それからさらに月日は流れ、母が亡くなって50年がたった年の9月のことです。その日は霊祭の前日でした。突然、私の背中に強烈な痛みが走ったのです。医師に診てもらうと、「急性大動脈乖離(かいり)」と診断され、すぐに入院し絶対安静という事態になりました。
 私は、11月に迎える母の50年祭は、退院して教会で迎えたいと神様に願いました。しかし、年祭当日には間に合わず、病室から遥拝(ようはい)させてもらうのが精いっぱいでした。私は落胆し、また、ふがいない自分を責めました。
 やがて退院を許されると、すっきりしない思いを引きずりながら、親教会に退院のお礼参拝をさせてもらいました。
 私が退院のお礼を述べると、親先生が「50年という節年に病を患ったこと、そしてご霊祭の前日に症状が出たことは、お母さんが今もあなたのことを守ってくださっているということですよ。お母さんによくお礼を申さねばね」と、お話しくださいました。

この言葉で、私は大きな考え違いをしていたことに気付きました。
 「このたびの病気は、助からなかったかもしれない大病を、50年という大きな節年に母のみたま様の働きで助けて頂いたのだ。このことだけでなく、学院に入学する時のことも含めて、ここまでの人生を通して、亡き母は常に私を見守り、働いてくださっていたに違いない」
 私はこの気付きを忘れることなく、この先、少しでも亡き母に喜んでもらえるよう、神様のご用にお使い頂きたいと願っています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

(金光新聞「心に届く信心真話」2014年11月23日号掲載)
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2016/03/15 08:53:39.516 GMT+9



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