title_02.jpg

HOME › 天地金乃神大祭を迎えて

天地金乃神大祭を迎えて

金光教報 『天地』4月号 巻頭言

 天地の息吹を感じる春を迎え、天地金乃神大祭が4月3日、7日、10日の3日にわたり本部広前で執り行われ、そのごひれいを頂いて、各地のお広前でも同様に仕えられる。
 「土用の炎天下、暑さに万物がさしつかえなく生きておられるのは、自分の力でそうしているのか。そこらから考えて、神様のありがたいことを知らなければならない。暑くて暑くて、もう根(こん)が切れそうなと言う、そのような時でも、健康に生きていけるかどうかということを、神様は知らせてくださる。そのような時、腹に手を当ててみれば冷たい。天地の神様は、外の火気(かっき)(熱気)がひどい時は腹を冷やして生かしてくださる。それは人間に限らない。犬でも牛でも同じことである。それを考えても、神様が守ってくださるのがわかるであろう。もし腹が熱かったら油断ができない。
 寒中になって、寒くてつらいという時は、腹の中へ十分に陽気をくださって楽にしてくださっている。寒さで性根がなくなったといっても、じっとふとんの上に座っていると暖かくなってくる。神様は、そうして四季にわたって守ってくださる」と、御理解にある。天地金乃神様は、あらゆるものを生かし、育むいのちの根源であり、そのお働きは天地に満ちわたり、天地とともに尽きることはない。
 そして、天地金乃神様がとりわけ私ども人間にかけられるみ思いは深く、「人間がおかげを受けないで苦しんでいるようでは、神の役目が立たない。人間が立ち行かなければ、神も金光大神も立ち行かない」、「きれいずくをしては、人は助からない。天地金乃神は、きれいずくをしない神である」とまで仰せになる親神様である。我情我欲を離れがたい人間を、どこまでも神のいとし子として慈しみ、私たちに寄り添って、人間のもつきれいごとでないあらゆる難儀に道をつけてくださろうとされる神様である。
 そのような人間の親神としての神心から、生神金光大神をお差し向けくださったのである。お知らせには、「天地金乃神と申すことは、天地の間(あい)に氏子おっておかげを知らず。神仏の宮寺社、氏子の家宅、みな金神の地所、そのわけ知らず、方角日柄ばかり見て無礼いたし、前々の巡り合わせで難を受け。氏子、信心いたしておかげ受け。今般、天地乃神より生神金光大神差し向け、願う氏子におかげを授け、理解申して聞かせ、末々まで繁盛いたすこと、氏子ありての神、神ありての氏子、上下(かみしも)立つようにいたし候」とあり、御理解には、「金神が人民に安心を授けてやろうと思ってきたけれども、たまたま信心する者があっても逃げるばかりして、真に心の定まった氏子はこれまでなかった。戌(いぬ)の年(金光大神)は、信心をしだしてから、幾度試してみても心を変えずに神にすがってくる。もう、その方の心は動かぬということを神が認めた。その方の口と姿とを貸してくれ。神が天地の理を説いて、安心の道を授けてやる」とある。ここに、神の氏子として生きる人間にとっての安心の道が開かれ、生神金光大神御取次の業は、教祖様以来、歴代金光様に受け継ぎ現されてきた。
 このたび教主金光様には、去る2月15日に行われた教主選挙による全教の願いを受けられて、3月27日に6度、教主としてお立ちくださることになった。教主は、天地金乃神様がお差し向けくださった生神金光大神取次を具現くださるお方である。全教を統理し、ご祈念、御取次くださるお働きのなかで、教団および教会の働きも進められ、信奉者も助かり立ち行くおかげを頂くことができていくのである。
 「神人あいよかけよの生活運動」は、立教150年のお年柄に教主金光様が示された「神人の道」とのおぼしめしを頂いて発足した信心運動であり、今年で5年目を迎えている。これまで、その「願い」の3行目「お礼と喜びの生活をすすめ」に焦点を当てて取り組んできたが、そのなかで、1行目と2行目「御取次を願い 頂き 神のおかげにめざめ」の大切さも明らかになってきた。御取次を頂く中で、神様との縦軸をはっきりさせることによって、天地金乃神様のおかげの世界、信心による助かりの世界があらためて自覚されてきている。いっそうに、天地金乃神様が「金光大神社でき、何事も神の理解承り、承服いたせば安心になり、神仏とも喜ばれ。親大切、夫婦仲ように、内輪むつまじゅういたし候(そうらえ)」と仰せになるこの道の信心実践に取り組み、神様のおぼしめしにかなうよう「神心となって 人を祈り 助け 導き 神人の道を現そう」との4行目と5行目への展開を願うところである。

投稿日時:2016/04/01 09:00:00.000 GMT+9



このページの先頭へ