title.jpg

HOME › 世と人の助かりを祈って

世と人の助かりを祈って

金光教報『天地』7月号 巻頭言

 教祖様は明治元年9月に、「天下太平、諸国成就祈念、総氏子身上安全の幟(のぼり)染めて立て、日々祈念いたし」とのお知らせを受けられた。このお知らせに込められた神様のみ心を頂いて、私たちは日々神前拝詞を奉唱し、「総氏子身上安全世界真の平和のご神願成就せしめたまえと願いまつる」とお唱えしている。そして、この7月には、各地で本教の平和集会が開催されるとともに、16日の「全教勢をそろえて社会奉仕の日」を中心にさまざまな社会活動が展開される。
 去る6月12日に執り行われた教主就任式において、教主金光様は、「全教の皆様と共に、神と人とあいよかけよで立ち行く『神人の道』が、一人ひとりの生活に現されてまいり、世界の平和と人類の助かりのお役に立たせていただきますよう、おかげをこうむってまいりたいと存じます。わけて、このたびの平成28年熊本地震により亡くなられた方々の霊(みたま)のお道立てと被災地の方々のここからの立ち行きを切に祈らせていただきたいと存じます」と仰せになった。このおことばを、私たち信奉者は心に刻み、信心実践として取り組ませていただきたい。
 かつての阪神・淡路大震災では、ボランティア活動への関心が高まり、日本全国から多数のボランティアが被災地に赴き、本教からも多くの方々が救援・復興支援活動に参加された。5年前の東日本大震災では、その時に蓄積されたノウハウをもとに、すぐさま少年少女会連合本部や、首都圏災害ボランティア支援機構、大阪災害救援隊など、多くの方々が救援活動に参加された。そして、このたびの平成28年熊本地震においても、熊本県教会連合会教会活動支援室、少年少女会連合本部(KYA)災害復興支援団、大阪災害救援隊、首都圏災害ボランティア支援機構など、さまざまな団体あるいは個人として活動してくださり、現在も続けられている。
 そこでは、困っている人々を助けたいというボランティアの心を含みながら、さらに、難儀に苦しむ人々にかけられる神様の深い悲しみと慈しみのみ心に思いを寄せ、神様から「共に助かる」ことを願われているお互いとして、神の氏子として共に生き、共に助かることを願う、信心実践が行われている。
 「人間は人を助けることができるのはありがたいことではないか。… 人間は病気災難の時、神に助けてもらうのであるから、人の難儀を助けるのがありがたいと心得て信心せよ」「わが身におかげを受けて、難儀な人を助けてやるがよい」との教祖様のみ教えに示される、信心する者にかけておられる神様のおぼしめしを受け現そうとするものである。「神心となって 人を祈り 助け 導き」という信心実践の一つのあり方として、信奉者個々のところで、また、教会やさまざまな団体で、平和活動や社会活動が展開されていくことはありがたいことである。
 大震災にあったある教師は、「私が住んでいるこの街に大津波が来てメチャメチャにしたのではない。大地震、大津波、台風、大雨、暑すぎる日、寒すぎる日があって当然の天地、その天地の一隅(ひとすみ)のこの街に、ただ私は住ませてもらっているだけである」と述べている。また、被爆されたある先師は、神様も被爆された。神様は今、私と共に苦しんでくださっている」と、神様にすがり、復興への道を神様と共に歩まれた。非常の事態にあっては、なおさら天地の親神様への揺るぎない信仰に裏付けられた、神様と共に歩む信心実践が大切であると思わせられる。
 「天地の間に氏子おっておかげを知らず」「天地の間のおかげを知った者なし」とのお知らせに示されるように、人間のいよいよの難儀は、人間の親神である天地金乃神様がおられるということ、その神様のお体である天地の間に、人間は許されて生かされ、生きているということを知らないところから、何事もわが勝手にして、前々の巡り合わせで難を受けているということであろう。天地金乃神様のおかげの世界と神様が人間にかけておられるみ心を知らせていくことが、難儀な世と人々を本当に救っていくことになる。
 教主金光様がお示しくださった、「神と人とあいよかけよで立ち行く『神人の道』が、一人ひとりの生活に現されてまいり、世界の平和と人類の助かりのお役に立たせていただ」くことになるよう、平和活動や社会活動に取り組む信奉者のあり方をとおして、「御取次を願い 頂き」「神のおかげにめざめ」「お礼と喜びの生活をすすめ」の信心生活に現れてくる、天地金乃神様のおかげの世界が伝わっていくことを願うものである。

投稿日時:2016/07/04 09:00:00.000 GMT+9



このページの先頭へ