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神様を杖に願う母の姿【金光新聞】

力強い母の信心

 私(58)の母は、 女手一つで双子の娘を育てました。私と妹を育てるのには大変な苦労があったことと思いますが、祖父の代から信心にご縁を頂いていた母は、どんなことがあっても愚痴をこぼさず、神様にすがり、神様をつえにした生活をしました。
 ある時、母は蓄膿(ちくのう)症が重症化したため、医師から手術を勧められました。しかし、手術をすると仕事を休まなければならず、2人の娘を抱えての生活が立ち行かなくなります。母は手術を受けずに、神様に一心におすがりすることで全快のおかげをこうむったのです。私は、そんな力強い母の信心を見て育ってきました。
 さて、4年前のある日のことです。私は入浴する時に、右下腹部に薄赤い長円形のあざができていることに気付きました。当初はそれほど気に留めてもいなかったのですが、それからしばらくしてもあざは消えません。さすがに少し心配になり、近くの皮膚科で診てもらうことにしました。
 「これはどこかでぶつけたのですか」など医師からいろいろと尋ねられましたが、これといって思い当たることはなく、結局、しばらく様子を見ることになりました。

 しかし、その後もあざが消えることはありませんでした。私は念のため、別の大きな病院で診てもらうことにしました。 「これは皮膚病ではありませんね。あざが身体全体に出てきたら、白血病の疑いがあります。しかし今は一部分にしか出ていないので、少し様子を見ましょう」。この医師の言葉に、言い知れない不安を覚えました。
 その足で教会に参拝し、事の次第をお届けしました。教会の先生は、「ここまでおかげを頂いていることに、まずお礼を申しましょう。そして、ここからの立ち行きをしっかりとお願いさせて頂きましょう」と、おっしゃいました。

不安に駆られる日々から

 それから私は、毎日、教会に参拝しては神様にこれまでのお礼と、このあざが悪い病気でないことを祈願しました。でも、あざを見るたびに、「白血病だったらどうしよう。この先どうなっていくのだろう」と、不安に駆られる日々が続きました。
 その後も週に1度、通院し、再検査もしてもらいましたが、結局、原因ははっきりしませんでした。不安が波のように打ち寄せる中で、私は教会参拝を続け、神様に祈り続けました。
 そうして4カ月がたったころです。ふと突然、12年前に80歳で他界した母のことを思い出したのです。それは何事があっても神様をつえにして一心に願い続け、蓄膿症の時も信心でおかげを頂いた母の姿でした。
 そして、「人間はみな、おかげの中に生まれ、おかげの中で生活し、おかげの中に死んでいく」「神様は人の身の上に決して無駄事はなされない」というみ教えが心に響いてきたのです。

 私は思い切って、病院へ行くのをやめて、母のように神様をつえにして、ここからの立ち行きを一心に願わせて頂こうと決心しました。そうしてそれから4年がたった今日、あざの原因は分からないままですが、広がることもなく、元気に過ごさせてもらっています。
 今では、このあざができたことで、母の信心や神様の働きに気付かせて頂けたのだとさえ思え、そのことにお礼を申しながら、ここからの立ち行きを祈らせてもらっています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

(金光新聞「心に届く信心真話」2015年2月22日号掲載)
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2016/07/21 14:28:12.586 GMT+9



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