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参拝はおかげ頂く近道【金光新聞】

思いがけない夫の仕打ちから

 私(77)が、自ら進んで初めて金光教の教会に参拝したのは、昭和46年2月のことでした。当時、夫と9歳、8歳、4歳の息子たちの5人で暮らしていました。ところが、夫は給料を家庭に入れず、私が働いて得たお金まで持ち出し、揚げ句の果てに、知り合った女性と一緒に行方をくらましてしまったのです。
 それまで生活を切り詰め、何とかやりくりしてきた中での夫の仕打ちに、3人の子どもたちを抱えて私は途方に暮れました。そうした中で、ふと思い出したのが、以前一度だけ義姉に連れられてお参りした金光教の教会のことでした。わらにもすがる思いで参拝してみると、以前あった所から移転し、お広前も新築されていました。そのお広前に上がって、私はがくぜんとしました。
 というのも、前夜に見た夢の中に出てきた見知らぬ場所が、このお広前とそっくりだったからでした。私は、「ここに参拝すれば助けてもらえる」という、確信にも似た思いを持ちました。

 その日、教会の先生は所用で不在だったため、翌日あらためてお参りして、お結界で事の次第を話しました。先生は私の話を真剣に聞いてくださった後に、「もつれた糸は切らなければならない時もある」と、ご理解くださいました。私が、どのようにすればおかげが頂けるのか尋ねると、先生は「まあ、いっぱい参拝させて頂くことが近道かな」と言って、教会参拝を通して神様に心を向け、助かりへと導いて頂くようにと教えてくださいました。
 それからは足しげく参拝させて頂くようになりました。朝は、子どもたちも連れて母子4人で参拝し、昼も会社の休み時間を使って参拝し、夜にもお参りしました。

神様の深いおぼしめし

 参拝を始めて半年たったころ、先生から、8月に金光教本部で開催される少年少女全国大会に、子どもたちと一緒に参拝してはどうかと、誘いを受けました。子どもたちは大喜びでしたが、親子皆で行く旅費はありません。先生にその旨を伝えると、「こちらで立て替えておくので、参拝させて頂きなさい」と言ってくださいました。しかし、迷惑を掛けてまで行くのは心苦しく、結局、本部参拝を辞退しました。
 ところが、大会当日、私が普段使っているバイクが故障したのです。修理に持っていくと、何とその代金が本部参拝の旅費と同額だったのです。私は、神様の深いおぼしめしを思わずにはいられませんでした。
 それから今日まで、本部や関係教会への参拝は、何とか工面してでも参拝させて頂くことにしましたが、いつもご都合お繰り合わせを頂いてきています。

 教会参拝を続ける中で、交通事故に遭うなど、いろいろなことがありましたが、不思議と参拝をやめようは思いませんでした。初参拝の翌年に夫と離婚してからは女手一つで3人の子どもを育てましたが、先生から言われたように、精いっぱい参拝を続ける中で、いつしか先々への不安はだんだんとなくなり、信心を支えにして母子4人立ち行かせてもらいました。
 教会にご縁を頂いて44年、子どもたちも今ではそれぞれに家庭を持って生活しています。あの時、教会で神様と出会わなければ、私たち家族の人生は、全く違ったものになっていたでしょう。そのことへのお礼も込めて、参拝を続けさせて頂いています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

(「心に届く信心真話」金光新聞2015年7月19日号掲載)
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2016/11/30 13:57:51.615 GMT+9



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