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母の徳がおかげの基に【金光新聞】

亡き母の信心の徳

 私(85)はこの年になって、ようやくこれまでのおかげの数々に思いが至るとともに、私の立ち行きを願い続けてくれた亡き母の信心の徳に感謝しています。
 8人兄弟の次男として生まれた私は、3歳の時に炭鉱で働いていた父を落盤事故で亡くしました。また、私が10歳になる前に兄弟3人が亡くなりました。母は、家族を次々失うという悲しみを背負いながら、5人の子どもを女手一つで育ててくれました。そんな母を支えていたのが、このお道の信心でした。
 私は8歳のころから母に連れられて、20キロほど離れた場所にあった教会へ参拝するようになりました。バスが運行されていましたが、当時はバス代が無く、歩いての参拝でした。子どもだった私は、信心は何も分からず、ただ母の言うままに素直に教会参拝をしていました。
 教会での母の信心ぶりは、他の信者さんたちの中でも際立っていて、「あの人のような信心はできない」と言われるほどの熱心さだったそうです。

 それから月日が流れ、母は昭和43年に63歳で亡くなりました。一方、私は次第に教会から足が遠のき、いつしか信心と疎遠になりました。それが、今から33年前、仕事で現住地に転居したのを機に、再び教会参拝を始めました。こちらへ来て数日後、車で県道を走っていると、たまたま「金光教」の看板が目に入り、後日、妻と一緒に参拝を思い立ったのです。
 そうして、今日まで教会参拝を続けてきていますが、母のように自ら求めてというものではありませんでした。

「どうせなら、今日診察を受けたら」

 数年前の年末のことです。妻の白内障治療のために、私は妻を連れて病院の眼科を訪れました。当時、私は体調を崩し、入退院を繰り返していて、私もその病院の内科にかかっていました。その日は診察日ではありませんでしたが、妻の診察を待つ間、受付の人に「私も5日後に予約をしている」と話したところ、「どうせなら、今日診察を受けたら」と言って、手配してくれました。そしてこの日、胆管に結石のあることが分かったのです。
 そして、専門的な治療を受けられる、遠方にある大学病院へただちに入院することになりました。担当の医師から「このままにしておくと血管に細菌が入り、多臓器不全を起こす危険がある」と説明を受けた私は病院から教会に電話し、無事に治療が進められるようお取次を願いました。
 内視鏡を使った治療で2個の胆石は除去できましたが1個残りました。当初は一度帰宅し、年明けに入院してその処置をしてもらう段取りでしたが、再度来院するのでは体力的に負担が大きいということで、引き続き入院して手術を受けました。そして、その年の大みそかには無事退院することができたのです。

 後日、医師から「あと1週間、処置が遅れていたら手遅れになっていたかもしれない」と聞かされ、あの時診察を受けていなかったらどうなっていただろうかと思うとともに、神様のお計らいに感謝しました。翌日、教会の元日祭に夫婦で参拝し、神様から新たな命を頂いた気持ちで涙ながらに御礼を申させて頂きました。
 今まで何度もおかげを頂いてきた私ですが、そのおかげの基には、神様のお導きと亡き母の信心の徳、そして教会の先生の不断の祈りがあることを忘れてはならないと、あらためて思わされています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

(「心に届く信心真話」金光新聞2015年9月6日号掲載)

メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2016/12/28 09:00:00.000 GMT+9



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