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神計らいの中での出産【金光新聞】

第二子の懐妊から

 「神量(かんはか)らいは奇(くす)しくて人の思いぞ及ばざる」。これは金光教の拝詞の一節です。教会でご用する私の日々の営みもまた、神様のお計らいの中でおかげを頂き続けています。
 昨年の3月末、妻が第二子を懐妊していることが分かり、出産予定日は10月9日とのことでした。その後、おなかの赤ちゃんは順調にお育て頂き、8月を過ぎるころにはおなかの膨らみも目立つようになりました。
 そうして、9月末になると医師から、「いつ生まれてもおかしくないので、そのつもりで準備していてください」と言われ、それからの一日一日は今日か明日かと緊張の連続でした。というのも、10月は、金光教本部を初めに各教会で大祭が仕えられ、大変慌ただしくなるからです。
 10月の初めには2歳の娘が通っている保育園の運動会がありました。この園に7月から通い始めた娘にとって初めての運動会なので、ぜひとも夫婦で参加したいと願っていましたが、願い通りに参加できました。

 そして、予定日の10月9日になりましたが、まだ出産の兆候はありませんでした。私は大祭に向けた準備の一環で、教会境内の草刈りをすることにしました。境内地の片隅に作った菜園には、夏の日差しをたっぷり受けて育ったカボチャや雑草が大量に伸びていました。「今日1日で片付くかな」と思いながら、とにかく神様にお願いして取り掛かり、2日がかりで終えました。そして、この菜園からは20個以上のカボチャと冬ガンを収穫することができました。
 実は、このカボチャは私が植えたものではなく、コンポスト(生ごみ等を発酵させ堆肥にするもの)から持ってきた土を入れたことで、自然と芽を出したものだったのです。私はこのカボチャを大祭にお供えさせて頂くことにしました。
 その後、親教会の大祭の諸準備を仕え、また翌日の大祭当日には家族そろって参拝することができました。そうして、今度は私がご用する教会の大祭が迫ってきました。

ご用に使ってくださろうとする神様のお計らい

 10月20日に迎える大祭まであと1週間に迫った14日、医師から「予定日を5日も過ぎているので、陣痛促進剤を使うことも考えた方がいい」と言われました。その言葉に私は、「出産日を入れて6日間は入院が必要なので、今日生まれなければ、ご大祭には間に合わない」と思い、どちらにしても大祭当日に妻が退院していることは難しいと考え、3日後に陣痛促進剤を使うことをお願いして夫婦で教会に戻りました。
 その日、夕食、入浴を済ませたころ、にわかに陣痛が始まりました。そして、病院に到着して1時間ほどで、元気な男の子が生まれたのです。
 妻は大祭前日に退院し、当日には長男のお披露目もできました。

 私はこの教会に後継に入って、8年になります。よそからここに来て、この先どうなるか分からない中で、根を張ろうと一生懸命努力してきました。そして、この地で家庭を持ち、2人目の子を授けて頂きました。大祭にお供えしたカボチャも、捨てられた種が堆肥と一緒にこの土地にまかれて芽を出し、実になったものです。
 そうした一連の流れを通して、私はご用に使ってくださろうとする神様のお計らいを実感するとともに、信心しておかげを受けてくれという神様の深いおぼしめしを思わずにはいられません。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

(「心に届く信心真話」金光新聞2015年9月27日号掲載)
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2017/01/19 09:00:00.000 GMT+9



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