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「伝えたい」と願って

金光教報 「天地」5月号 巻頭言

 私たちは「信心を伝える」「信心を伝えたい」「信心を伝えなければならない」ということをよく耳にするし、言いもする。
 「信心を伝える」ことは信奉者の大きな願いであり、使命とも感じているからであろう。しかし、「信心を伝える」とは、漠然とした表現ではないだろうかと思う。そこで、この「信心を伝える」とはどういうことかについて、あらためてよく考えてみたい。

 まず、「伝える」という言葉にはいろいろな意味合いがある。その一つは「事柄や考えを、相手あるいは一般の人々に知ってもらう」ということである。これは、相手に「私は金光教の信心をしています」「家の宗旨は金光教です」「金光教とはこんな宗教です」と知らせることであろう。広く一般にという意味では、いわゆる「お道案内」に当たり、本部の布教部がさまざまなメディアを使って、この役割を担っている。
 次に、「受け継がせる、保つ」という意味がある。これは、親の信心を受け継ぐ、家の宗旨を保つということであり、いわゆる「信心の継承」と言われるものだが、ここにもいろんな意味がある。とりあえず教徒になれば、家の信心を伝えたことになるのかもしれないし、せっかく頂いたご神縁をつないでいくことはありがたいことである。しかし、それで果たして「信心を伝えた」と言えるかは分からない。

 と考えてみると、私たちが「信心を伝えたい」と問題にしているのは「伝える」という中の「他に作用を及ぼす」という意味であろうか。例えば「熱を伝えて、相手の物質を変える」という内容である。それは、苦しむ人に信心を伝えて、考え方・生き方を変え、助かりに導くということでもある。
 「信心の継承」という意味においても、ただ家の宗旨を継ぐということにとどまらず、道に基づいた考え方・生き方が家族一人ひとりに伝わって、真の意味での子孫繁盛家繁盛を実現していくことが願われているのである。そして、そうした家々が広がっていけば、まさに世界の平和につながっていくほどのことであろう。
 この「信心を伝える」ということについては、教祖様のご理解の中にもいくつか見受けられる。ところが、である。教祖様が「伝えよ」とご理解しておられるのは「おかげを受けたこと」「神の仰せ」「天地の大理」「修行の次第」「真の道」「金光大神の教えたこと」などがあり、そうしたことを「伝えて」真の信心をさせよ、と説いておられるのである。「信心を伝えよ」という言い方はしておられない。

 「信心を伝える」という表現は漠然としていると書いたが、自分の頂いたおかげ、神様あるいは取次者から頂いた教えや天地の道理は漠然としたものではなく、具体的な言葉・事柄である。それを感動をもって、繰り返し、繰り返し「伝えて」、真の信心をする人が生まれてくることを願うことが、私たちが求める「信心を伝える」ということになるのではないだろうか。
 「信心を伝えることは難しい、できない」という声もよく聞かれるが、まずは、自分の頂いたおかげ、神様のありがたさ、天地のご恩といった、伝えたいことの中身をはっきりとさせることが求められる。そして、そのことを「伝えたい」と願って、できることから取り組んでいくことが大切なのだと思う。

投稿日時:2017/05/01 09:00:00.000 GMT+9



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