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父の死に神様のお働き【金光新聞】

見知らぬ土地での生活

 14年前、私は仕事の関係で東北のある町に家族で移り住みました。この町は、私たち夫婦が生まれ育った九州から遠く離れていて、当初は右も左も分からず、身内も知り合いもいませんでした。
 当時を振り返ると、希望よりも不安の方が強かったことが思い出されます。見知らぬ土地での生活への不安はもちろんですが、それにも増して心配だったのは、もしも両親に何かあった時に、物理的にも経済的にも容易に帰ることができないということでした。
 実際にその当時、父は余命を告げられるほどの病気を患い、一進一退の状態でした。そうした不安を抱いていた私に、両親と私たち夫婦が参拝していた教会の先生は、「近いから大丈夫、遠いから大変ということはありません。たとえ近くにいても神様のおかげを頂かなければどうなるか分かりません。どんなに遠くにいても、神様のおかげを頂けば何の心配もない。大丈夫」と励まし、送り出してくれました。
 この言葉に支えられ、新たな場所での生活に臨むことができたといっても過言ではありません。

 それから2年後、布教95年を迎えた故郷の教会の記念大祭でご用奉仕をさせて頂くために帰郷しました。この参拝は、移り住んだ時から願いを立てていたものでした。入院していた父とも再会できましたが、病状は目に見えて進んでいました。
 元気だったころの父は、日ごろ神様からおかげを頂き通していることへのお礼として、その万分の一でもお返ししたいとの思いで教会のご用奉仕に取り組んでいました。その父が、思うようにご用のできなくなった自分に代わり、私が遠く離れた地で信心を進め、そして今回、記念祭のご用奉仕のために帰郷したことを心から喜んでくれたのでした。
 そんな父の姿に触れ、私は今までの苦労が報われたような思いの中で、記念祭のご用をさせて頂くことができました。

最後まで父らしく

 記念祭の翌日、後片付けがちょうど終わったころ、病院から父が危篤だと連絡がありました。私は、不思議と慌てることもなく、「ついにこの時が来た」という思いで病院に行き、そのまま最期をみとることができました。
 その後、滞りなく葬儀を終え、慌ただしい数日間を過ごして、ふとわれに返った時のことです。
 「ご用奉仕を大切にしていた父だからこそ、記念祭の片付けが終わるのを待ってくれたんだ。しかも遠く離れた土地で暮らしている私たちを思い、一番都合のよい時に最期を迎えようと、最後まで父らしく頑張ってくれたんだ」。そう思えてなりませんでした。

 後日、万事に願い通りのおかげを頂いて亡くなった父の姿勢を信心仲間がたたえていると、そばで聞いていた先生が、「その人の信心もさることながら、これこそが神様のおかげの何物でもありません。そういうお働きをしてくださる神様です。そこを間違えないように」と、その人にみ教えくださったと聞きました。
 その話を聞いて、「遠くにいても、神様のおかげを頂けば何の心配もない」という、あの時の先生の言葉が心の底から理解でき、神様はいつも人の思いの及ばないほどのおかげを用意してくださっているとの思いを強くしました。それ以来、困難に出合った時には、神様にお働き頂くことを願い、その時その時のおかげを頂く稽古に取り組んでいます。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。

(「心に届く信心真話」金光新聞2015年10月25日号掲載)

メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2017/04/29 09:00:00.000 GMT+9



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