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生かされて生きている【金光新聞】

悩み苦しんだ末に

 私が29歳の時の話です。商社勤めをしていた私は、社会的な成功を夢見て頑張っていました。
 しかし、次第に会社の方針になじめなくなり、退職しました。その後、幾つか職を変わった後、ある建設会社に勤めることになりました。
 工事現場が遠方の場合には、現場近くに車を止めて車中で寝泊まりしながら仕事をすることもありました。当時の私は、仕事に追われる毎日に加え、私生活では離婚をはじめ次々と問題を抱え、半ば自暴自棄になっていました。
 私は自分の身に起こりくる出来事について、「あれがいけなかったのか、誰が悪いのか」と自問し、さらには、「自分は何のために生まれ、何のために生き、死んだら何が残るのか」といったことを考えながら、悩み苦しんでいました。
 昼間は工事現場で汗を流し、夜は車中で疲れた体を休めながらもんもんとする日々の中で、やがて、感情がコントロールできなくなっていきました。休みの取れない日が続いた上に、夜遅くまで悩み続け、心も体もボロボロになっていたのです。

 ある夜、私は工事現場近くに止めた車中で、いつものように思い悩んでいました。そして、ついに心が限界に達し、衝動的にナイフを左手首に当て、手首を切って命を絶とうとしていました。
 その時、信じられないことが起こりました。私の体が回転しながら宙に浮くと、「キーン」という耳鳴りがしたのです。まるで音も光もない宇宙空間に放り出され、無重力状態にいるような感覚になり、私は、死んだのかと思いました。幼少期の記憶が走馬灯のようによみがえり、バイクや車で何度も事故に遭い、命を落としかけながらも助けられた時の映像も鮮明に浮かびました。
 すると次の瞬間、「おかげの中で、生かされて生きている」という声が私の耳にはっきりと聞こえてきたのです。

実感した神様の存在

 翌日、私は仕事仲間に昨夜自分の身に起きたことを話し、「俺は、この仕事をするために生まれてきたのではない気がする。今日でこの仕事を辞めたい」と伝えました。私がずっと悩んでいたことをうすうす感じていたのでしょう、仲間は辞めることに同意してくれました。
 それまで神様の存在を信じていませんでしたが、この出来事を通して、私は神様の存在を実感しました。そして人生観も大きく変わりました。
 「私が出会ったのは、どこの神様だったのか」。あの体験の意味を知りたくて、幾つもの宗教に足を運びました。しかし、どこに行っても、納得できる答えは見つかりませんでした。
 そんな中で、金光教と出合い、み教えに触れていくことで、やがて、あの時「生かされて生きている」と言って、私を救ってくれた神様は、天地の親神様だったと確信しました。金光教の信心を通して、いよいよ自分が大いなる働きによって「生かされて生きている」ことが分かったのです。

 あれから18年が過ぎました。その間、いろいろとありましたが、人生をゼロからやり直した私は、金光様をはじめ多くのお祈り添えを頂き、現在金光教の教師として教会でご用にお使い頂いています。
 人生に行き詰まり、死のうとした私が、あの日、神様と出会い、救い助けられてきたのです。18年前の出来事は、私の信心の原点であり、大切な宝物となっています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。

(「心に届く信心真話」金光新聞2015年11月1日号掲載)

メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2017/04/30 09:00:00.000 GMT+9



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