今から15年ほど前、航空業界では格安航空会社の参入で競争が激化し、各社は存続を懸けて、付加価値を競い合いました。
当時、私が勤務していた会社では、急病人への客室乗務員の対応技能の向上を付加価値の一つとし、私はその指導を担うことで会社に貢献しているつもりでした。
そんな中で、出張先の東南アジアで目にした光景に、私は衝撃を受けました。
それは日本円にして1杯数十円の麺屋台の店員さんが、もやしを一本一本丁寧に処理する姿でした。その丁寧さと比べたら、自分のしていることがいかに粗略かを実感させられたのです。
最速の移動手段である航空機の中での業務は、常に時間との闘いです。必然的に病人のお世話にも迅速さが求められ、丁寧さとの折り合いをつけることに限界を感じたのですが、流されるしかありませんでした。
それからの数年は職責が重くなる一方で、このままでいいのだろうかと自問自答する日々が続きました。
そんなある日、知人に誘われて金光教の教会に参拝しました。
お結界には、黒衣姿の先生が座っておられました。初めて参拝した教会なのに、まるで私を待っていてくださったかのようで、それまでの慌ただしい時間が止まったように感じられました。
私はこの先生なら何でも受け止めてくださると直感し、思わず「仕事を辞めようと思うのですが、どう思われますか」と口走っていたのです。そして、会社の現状や自分の立場、また行き詰まっていることなど、胸の内を打ち明けていました。
先生は最後まで真剣に聞いてくださり、「よくここまで頑張ってこられましたね。辞められてもいいと思いますよ」と言われました。
この道を走り続けるしかないと思っていた私でしたが、その言葉を聞いて、別の道もあることに初めて気付き、胸中に安心感が広がりました。
先生は続けて、「私は幼少時代に、この教会に養子に出されました。当初は実家に帰りたくてつらかったですが、神様を信じていましたら、今では、人の助かりを神様に願うという、ありがたい人生になりました」と話されたのです。その表情は本当に幸せそうでした。この時私は、退職には難関があるけれど、神様を信じたら何とかなる、と思ったのです。
しかし、その後も私の担当する救急法の講習に関わる業務は予定が詰まっており、後任の指導者がすぐに決まるとも思えませんでした。共に頑張ってきた同僚たちにも言い出せず、退職の決意が揺らいでいきました。
でも、先生の姿を思い出し、残りの業務を全うし、引き継ぎが終わるまで責任を持つことを条件に退職を願い出ると、無事に辞表は受理されました。
そのことを先生に報告すると、「わあ、良かったですね」と、まるで子どものように手をたたいて喜ばれました。
私はその満面の笑みを見て、先生は人の助かりを神様に願う仕事のプロだと思いました。それは、麺屋台の店員さんに感じたことともどこか共通していて、私はこれで救われたのだと分かりました。
あれから10年、その後、金光教の教師とならせてもらった私は、人が助かり、喜ぶ姿を見て幸せを感じるたびに、あの先生の笑顔を思い出します。
※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。
(「心に届く信心真話」金光新聞2015年11月22日号掲載)