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神様とつながる安心感【金光新聞】

み教えを整理していたノート

 今から35年前、私(61)は単身で父の生家がある九州の離島へ新規布教に出ました。その際、親先生(信心の師匠)からは、「あなたの先祖の助かり、地域総氏子の助かりと幸福をご神願として行きなさい」というみ教えを頂きました。
 布教当初は、簡素なご神前と、白い布で覆ったみかん箱をお結界の机にして、ご用をしました。また毎朝、教会前の道路を、地域の幸せと発展を祈りながら清掃させてもらいました。参拝者はまだいなかったので、一人で朝早くから大きな声でご祈念を繰り返す日々でした。
 ご祈念の合間には、先輩の先生が信心について書かれた書籍などを読んで、「病気のお届けならこのご理解を」「人間関係の悩みならこのみ教えを」と、初めて参拝した方にも金光教の信心のありがたさがよく分かるようにと、ノートに整理していました。

 布教を始めて4カ月ほどたったある日、初めて教会に人が訪ねてきました。50代の母親とその息子さんで、自宅を新築するので地鎮祭を仕えてほしいというお願いでした。私は少し時間をかけて丁寧にご祈念をし、お結界で金光教の素晴らしさを伝えようと、準備していたノートを開きました。ところが、極度に緊張したこともあってか、頭が真っ白になりました。地鎮祭は1週間後と決めたことは覚えていますが、あとは何をどう話したのか記憶にありません。
 親子が帰った後、ご神前でご祈念しながら、悔しくて情けなくて涙がこぼれました。書籍に記された先輩方の体験は、どれも血の汗がにじむような命のほとばしりが文字になったものです。
 しかし、そうした経験のない私が話しても、単にその内容を紹介するにとどまり、神様の願いを取次げないことを痛感したからです。

祈りに支えられながら

 それからは、新聞や教内外の本を読むことはいったんやめて、神様の願いに沿うご用、神様とつながるご祈念の在り方を求めて、拝詞を毎日100巻唱えるご祈念に取り組みました。
 そのご祈念を何日か続けると、50巻目を過ぎるあたりから、親先生がご神前で一心にご祈念してくださる姿と、本部広前でお結界の金光様を前にして私が平伏する姿が目に浮かんできたのです。そして、多くの方から祈られている自分であることを実感し、ありがたくて涙が流れました。
 そのような体験を繰り返すうち、金光様や親先生のお取次を頂いて、神様とつながっていく安心感が、私の中に広がってくるのを感じました。
 そうして迎えた地鎮祭当日、天候にも恵まれて、祭典にはその親子と建設関係者らが参拝しました。祭典後のあいさつで、私は、天地のお働きの中で生かされて生きる私たちであること、金光教の信心をすれば必ずおかげが頂けることなどを話しました。

 日頃、参拝者もなく1人でご用をしていた私は、この時、話ができる喜びと伝えたい思いがあふれるのを抑えられませんでした。自分でも何を言っているか分からなくなりながらも、神様が必ず良いように受け取ってくださり、おかげになるという安心感を持って話すことができました。
 この安心感は、今でも私のご用の土台となっています。金光様のお祈り添え、親先生の祈りを日々感じ、その祈りに支えられながら、今日も取次のご用に使って頂いています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。

(「心に届く信心真話」金光新聞2015年12月20日号掲載)

メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2017/05/06 09:00:00.000 GMT+9



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