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金光教を名乗れる喜び【金光新聞】

大規模な神事を頼まれ

 私は、昭和54年に新規布教を始めました。布教当初は地域の方々から受け入れてもらえず、道行く人にあいさつをしても返事すらしてもらえないような日々が続きました。しかし、一心にご用させて頂く中で、2、3年を過ぎたころから地域の信用を少しずつ得られるようになり、個人宅の地鎮祭などを、年に数回頼まれるようになりました。
 その後、地域の民生委員児童委員の委嘱を受けてからは、地域の豊作祈願祭など、さまざまな神事の依頼を頂くようになり、それからしばらくすると、初めて公共機関の神事を頼まれ、引き受けることになりました。平成13年4月のことです。
 神事の内容は、町が進める中心市街地活性化計画の一環で建設された施設の落成竣工式とオープン式典で、県や町の関係者や業者、さらに一般の人も含めると200人近くの参列者が集まる大規模なものでした。
 しかし、その神事を奉仕するに当たっては条件がありました。それは、祝詞(のりと)の中に金光教という教団名や天地金乃神様、生神金光大神様という金光教の主祭神の名前を入れないことなどでした。そのため祝詞の文案については、役場の担当者による事前チェックを受けました。

 そのような制約はありましたが、天地の恩恵に対する感謝の気持ち、水、空気、お照らしの働きによって生命を頂き、生かされて生きている人間であることを強調し、金光教の信心の大切なところを内容に織り込んで祝詞を作成しました。
 そして当日、準備も整い、祭典が始まる時刻になるのを待つばかりという時に、突然激しい雨が降りだしたのです。式典の会場にはテントが張られていましたが、強風で紙垂(しで)が飛ばされ、水浸しになりました。
 ところが、関係者が慌てて屋内に移動しようかと話し合いをしている間にぴたりと雨がやみ、開始2、3分前には空も明るくなってきました。

「今日の祝詞は素晴らしかった」

 結局、祭典は日が差す中で執り行われ、テープカットなどのセレモニーも無事に終わりました。その後、引き続き行われたお直会(なおらい)の席では、地元町長、来賓に続いてあいさつに立った設計会社の代表取締役の方が開口一番、「今日の祝詞は素晴らしかった。そして、天気の演出も見事だった」と、言ってくださいました。直会が終わり掛けたころ、再び激しい風雨に見舞われ、そのまま閉会となりました。
 教会に帰った私は、神様、みたま様に天候のご都合お繰り合わせを頂き、お役に立たせて頂いたお礼を申し上げ、同時に地域の全ての住民の助かりと幸福をご祈念させて頂きました。

 この神事の後、私は一つの願いを立てました。それは、次に依頼を頂いた時には、祝詞に金光教の教団名や祭神名を入れて奏上するというものです。もしそれで都合が悪ければ断ろうと考えていました。
 その後、この神事がきっかけとなり、公共機関からの神事の依頼が増えましたが、全て私の願い通りにさせてもらえるようになりました。神職となっていた肩書きも、金光教の教師として祝詞を奏上させて頂くことになったのです。
 この地域に来て20年余りの年月を経て、公共の行事で「生神金光大神様、天地金乃神様」と祝詞で唱えることができました。そして金光大神様にお出まし頂くことができたことは何よりもありがたいことでした。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。

(「心に届く信心真話」金光新聞2016年1月24日号掲載)


メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2017/05/26 16:42:37.097 GMT+9



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