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不満転じてわびる心に【金光新聞】

心配する心をそのまま神様に

 私(65)は、高校卒業後に上京して建築会社に就職し、定年まで無事に勤めさせて頂くことができました。
 信心熱心だった両親は、私に教会へ参拝するようにといつも言っていましたが、なかなか参拝する気が起きませんでした。それでも、20代初めのころに、仕事で行き詰まった時にご縁を頂いた教会がありました。
 最初は、その教会の青年会活動に参加していたのですが、仕事や遊びで忙しかったこともあって、徐々に足が遠のきました。
 その後は年に数回、家庭や仕事のことで困ったことが起きてきた時に参拝する程度でしたが、7年前の開教50年記念祭のご用をさせてもらったのをきっかけに、頻繁に教会へ参拝するようになりました。
 
 4年前のことです。吐き気を催し体調が優れない日が続いたため、かかりつけの病院で診察してもらいましたが、原因が分からず、大きな病院の専門科で診てもらいました。すると胆管がんであることが分かり、危険な手術になると告げられました。
 不安に駆られた私は、すぐに教会に参拝し、お取次を願うと、「その心配する心をそのまま神様に向けさせて頂いて、まずはあなたの心のおかげを頂きましょう。難はみかげですよ」とみ教えを頂きました。しかし、その時はその意味が今一つ分かりませんでした。
 入院すると、1週間毎日検査が続きました。体調の悪さもあって、死への不安が募りました。
 先生にメールでその思いを伝えると、「朝起きた時、夜寝る前には、今日も命をつないで頂いていることへの感謝の気持ちを忘れないように」と返事があり、それからは、その通りにベッドの上でお礼のご祈念をさせて頂きました。

自然と込み上げてきたお詫びしたい気持ち

 ある夜のこと、同室の患者さん同士の会話が耳に入ってきました。「医者は、がんじゃないと言っていたのにうそじゃないか」 「毎日まずい食事ばかり」と、思い付く限りの不平不満を言い合っているのです。
 その話を聞くうちに、私も長い間健康診断や精密検査でお世話になってきた病院の医師に対し、どうして異常に気付いてくれなかったのかという不満を抱いていたことを思い出しました。しかし、同時に、そもそもは元気で食べられることを当たり前に思い、不摂生な食生活をしてきた自分がいけなかったのだと思えてきたのです。
 そう思えた途端、自然と神様に対しておわびしたい気持ちが込み上げてきました。すると不思議なことにそれまでの不安な気持ちが薄らいでいきました。
 心から神様におわびを申し上げるようになって以来、神様に全てをお任せしようと心が定まっていき、そのおかげで無事に手術も成功しました。手術から4年がたった今、体力も回復し、教会のさまざまなご用にお使い頂いています。

 退院後、教会長先生から「手術が成功し、命をつないで頂いたことだけがおかげではないですよ。これまで自分の身勝手な行動で、親様から頂いた体を痛めていたと気付かせて頂いたこと、改まりの心を頂いたことがおかげですよ」とみ教えを頂きました。
 今回の体験を通し、今までの自分の生き方が、どれだけ感謝の気持ちに欠けたものだったのかと、反省させられました。これからも一つ一つ大切なことに気付かせてもらえるよう、神様にお願いしながら教会参拝を続けていきたいです。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。

(「心に届く信心真話」金光新聞2016年2月21日号掲載)
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2017/07/14 10:59:06.162 GMT+9



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