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お礼の心で夫婦円満に【金光新聞】

心の置きどころを失い

 あることがきっかけで私 (56) が教会にお参りしなくなって2カ月ほどたったころ、教会の先生から電話がかかってきました。私が突然、教会に参拝しなくなったことを心配しての電話でした。
 「どうしたの?」と尋ねる先生の声を聞いた途端、「先生、何がおかげなのか分からなくなりました」と、泣きながら答えていました。先生が「何があったの?」と、驚いた様子で聞くので、私は「詳しくは話せませんが主人のことです。気持ちが落ち着いたら、お参りさせて頂きますので、それまではそっとしておいてください」と言うのが精いっぱいで、そのまま電話を切ってしまいました。

 会社員の夫は、仕事熱心ではありましたが、家庭のことには全く関心を示さない人でした。ですから、家事一切はもちろんのこと、庭や家の周りの草刈りや畑の手入れ、日曜大工など、男性の手を借りたいようなことも、私一人でこなしてきました。
 それが当たり前だと思っていたのですが、ある日を境に、「なぜ私ばかりなの? 少しは私の身になって考えてくれても…」という思いが強くなってきました。一度そんな思いにとらわれてしまうと、主人を責める気持ちに支配され、心の置きどころを失ってしまいました。
 その結果、教会に参拝したいという気持ちが持てなくなってしまったのです。先生から電話を頂いた時は、そんなさなかのことでした。その後も気分が晴れることはありませんでしたが、先生から電話を頂いてからひと月ほどたったころ、一度参拝してみようと思い立ち、教会の月例祭にお参りしました。

お礼を土台にしての生活

 先生は、私が久しぶりに参拝したことを心から喜んでくれましたが、私の気分は沈んだままでした。結局、胸の内を打ち明けることもできないまま、「ご心配をお掛けして申し訳ありません」とだけ言い残して教会を後にしました。気分は晴れないままでしたが、祭典後の教話で先生が話された、「お礼を土台にしての生活に、ありがたい思いが生まれてきますよ」という言葉が心に引っ掛かり、何度もその言葉が頭に浮かんでくるようになりました。
 それでも、最初は夫への不満が収まらず、お礼の気持ちなど全くありませんでした。けれども、時間がたつにつれて、「主人ばかり責めていたけれども、自分にも至らないところがいっぱいあった。家のことも全部私に押し付けられたと思ってきたけれども、健康であるからできている。そう考えると、自分のことしか考えていなかったのかもしれない」と思えてきました。
 居ても立ってもいられなくなった私は、さっそく教会に参拝し、「先生、この間のお話に助けられた気がします。今までのことを神様におわび申し上げます」と、お届けすることができました。

 私の気持ちが変わると、不思議なことに夫が家の周りの草刈りや、家の修繕をしてくれるようになったばかりか、母の日には私のためにケーキまで買ってきてくれたのです。そのうれしい気持ちをそのまま、教会に参拝して先生にお届けしました。
 どんな時でもお礼の心を忘れないこと、自分が心を改めると相手の心は神様が変えてくださること、神様はこのことに気付くことを願っておられたのだと感じています。そのことの大切さを教えて頂いた経験でした。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

(「心に届く信心真話」金光新聞2016年2月28日号掲載)
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2017/08/30 09:00:00.000 GMT+9



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