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秋季霊祭をお迎えして

金光教報 「天地」9月号 巻頭言

 本教では、信奉者の御霊(みたま)をはじめ、それぞれに縁の深い人たちの御霊が本部広前及び教会で祀(まつ)られ、日々、教主金光様、各教会長により拝礼されている。さらに、春秋二季の折り目に当たって、あらためて霊神様にお礼を申し上げ、その立ち行きを願い、なおかつ信心の授受継承の祈りを込めて仕えさせていただくのが春秋の霊祭である。

 人は皆、さまざまな人間関係の中で、互いに世話になり合って生きている。それを横の関係と言うならば、親があっての自分であり、親もまた、その親あっての自分であるという生命のつながりの中に、ご先祖あっての私、という縦の関係をも生きているお互いである。
 ご先祖の数を単純に計算すると、9代前で千人を、13代前で1万人を、19代前で100万人を、26代前でなんと1億人を超える。そのような生命のリレーの中に今の自分がいる。そう考えると、ご先祖から受け継がれてきた生命を粗末にしてはいけない。生命のバトンを次の世代に受け渡してほしい、という願いが託されていることを、あらためて思わされる。
 また、それほど膨大な数となるご先祖も一人ひとり、天地の親神様からいのちを賜り、御霊になられてからも、生前同様、天地の間でご神徳の中に生かされていることを思えば、神様あってのご先祖として、天地の親神様にお礼申し上げるのが肝要であろう。

 教祖様は、「御霊の祭りは大切にせよ」「木のもとへ肥料をやれば、枝振(えだぶ)りまで栄える。先祖や親を大切にすれば繁盛させてくださる」と教えてくださっている。
 ある先生がお道にご縁を頂いた当初、「この方の道は子孫繁盛家繁盛の道を教える」とのお話に魅力を感じ、日参を続けておられた。父親は実業家だったが、事業に失敗し、家産をなくした。その失敗を恨んでいる心境を教会の先生に話したところ、「あんたのその気持ちには同情するが、この道の信心で考えると、お父さんは残念に思って亡くなられたと思われる。人間の親というものは、子供がかわいいと思わぬ者は無い。子供のためには、苦労もいとわず働いている人が多いのであって、それが成功せずに失敗しては、親としては残念に思い、子供にもすまぬと思いつつ亡くなられたのではないかなあ」と言われ、お父さんの気持ちを考えもせず、責めてばかりですまなんだと、反省の心が起こった。さらに先生から、「お詫びを言って、生んでもらって育ててもらったことのお礼を申す心になればよいでしょう」と教えられ、その日から亡き父親に向かう心が変わり、間もなしに郷里にあるお墓にお詫びに帰った。そのことを先生に話すと、「入信して間もないのに、そりゃあ、真の信心じゃ」と喜んでくださったという。
 この方は、御取次を頂いて、父親の立場に思いが至った時、それまでの恨みが溶け、本心から、自分を生み育ててくれた親へのお礼が言えるようになられた。そのようなお礼の心があって、「親あっての自分」「ご先祖あっての自分」という自覚が深まり、御霊との絆が強くなり、御霊様を大切に祀ることができられたのである。

 教祖様は、42歳の大患をとおして出会われた神様を信じ切り、すがり切って、神様のみ心に沿う生き方を求めていかれた。その中で安政5年7月の盆の日、ご先祖の精霊(しょうりょう)を迎え、回向(えこう)する折に、教祖様の口をとおして、「戌(いぬ)の年(とし)さん、おまえが来てくれたのでこの家も立ち行くようになった。精霊がお礼を申し上げる」と、ご先祖からの感謝の言葉が告げられた。
 また、そうした体験を踏まえられてのことと思われるが、「ご信心してあなたがおかげを受けると、あなただけではない、後々の孫、ひ孫の末の末までがおかげを受けるし、また、ご祖先ご祖先の精霊御霊までが、あなたがご信心して、おかげを受けてくれるからと、安心してお浮かびなさる」とも教えられている。

 ご霊祭をお迎えするに当たり、天地の親神様へのお礼とともに、親をはじめ、ご先祖の祈りの中で今の自分や家族があることのお礼を申し上げ、さらにここから、「あなたの信心によって立ち行くようになった」と、ご先祖に喜んでもらえる信心、子孫が助かり繁盛のおかげを頂く信心にならせていただけるよう、信心生活の上におかげをこうむってまいりたい。

投稿日時:2017/09/01 09:00:00.000 GMT+9



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