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どんな時も夫婦一緒で【金光新聞】

一日一日を大切にありがたく

 夫婦でお道の信心を熱心にしていた日田ミナエさんは、昨年4月24日に86歳で帰幽しました。
 いつも笑顔のミナエさんは、夫の隆さん(81)に寄り添い、どこに行くにも夫婦一緒で、どんな事が起きても弱音を吐かない人でした。ミナエさんは隆さんと共に外出することで、その先々で出会う困っている人のお役に立ちたいと願っていました。そして、教会への参拝とご用を何よりも一番に考え、さらに地域でもいろいろと貢献されていたようです。
 おととしの11月、ミナエさんは一日中咳込むことが続きました。そこで翌月、主治医の勧めで大きな病院で精密検査を受けたところ、咽頭がんであることが分かりました。既に転移も見られ、手遅れの状態でした。
 ミナエさんは隆さんと一緒に教会にお参りし、お結界で「咳の原因が分からず、もやもやとした不安な気持ちがようやく晴れました。皆とも相談して抗がん剤治療は受けないことにしました。これからも今日まで頂いている命にお礼を申し上げながら、一日一日を大切にありがたく生きていきます」と、落ち着いた様子でお届けしました。
 その後も、それまでと変わることなく、毎日夫婦一緒に参拝を続け、精力的にご用に励みました。また、食事を頂く際には「がんにも栄養をあげないとね」と言うミナエさんの姿は慈愛にあふれていました。

 そんなミナエさんの告別式は、生前の生き方を表すようにたくさんのお花が飾られる中、多くの方に見送られ、盛大で温かな式となりました。
 告別式の後、自宅とは別に教会にもミナエさんの遺骨を安置する新霊床(しんれいしょう) が設けられました。教会に参拝した多くの方がその祭壇の前で手を合わせては、「何とも言えない温かい気持ちになる」と言っていました。
 隆さんも毎日、教会に参拝し、その祭壇にミナエさんが好きだった食べ物や花を供え、遺影に何かを語り掛けながら涙を流しました。そして、お結界でつらくて仕方ない胸の内をそのままお届けして帰っていきました。

*新たに霊神となった故人を、50日間お祭りする祭壇

毎日変わることなく

 ミナエさんが亡くなって50日目を迎えた日、家族、親族をはじめ縁ある人らが集い、ミナエさんは先祖の霊神に合わせて祭られ、遺骨は教会の奥城(おくつき)に納められました。
 その夜、教会の勢祈念にあらためてお参りした隆さんが帰ろうと、玄関を出た時のことです。
 大きな蛍がどこからともなく姿を現し、 駐車場へと向かう隆さんと歩調を合わせるように飛ぶと、隆さんの車の上でふわりと上下に揺れながら浮いていました。まるで、隆さんが車に乗るのを待っているかのようでした。きっとミナエさんが、50日間祈り続けてくれたことにお礼するために現れたのでしょう。その蛍は、隆さんが出発すると同時に、ふっとどこかに消えました。

 その後、隆さんはそれまで以上に信心に励むようになり、長男夫婦も教会にお参りするようになりました。
 隆さんはミナエさんの生前、一緒に参拝すると、いつも「今日もミナエと一緒に参拝させて頂きました。ありがとうございます」と、お礼を言ってからその日のお届けをしていました。そのお礼のお届けは、ミナエさんが亡くなった今でも毎日変わることなく続けられています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

(「心に届く信心真話」金光新聞2016年3月20日号掲載)

メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2017/09/07 09:00:00.000 GMT+9



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