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長男が示した信心の道【金光新聞】

長男の病から

 今から55年前、私(79)は職場で出会った男性と結婚しました。夫は信心気のない人で、私が母の代からの信心を受け継いで続けていることを快く思っていませんでした。私は、そのことを教会でお取次を頂くと、先生は「先々で一緒に信心させてもらえるよう、焦らずにご主人を立てていきなさい」とみ教えくださり、その後も信心を続けました。
 その後、私たちは長男を授かりましたが、幼い時に重度の小児ぜんそくを発症し、小学5年の時には医師から、「この子は、学校に通えなくなるかもしれない」と、告げられました。「なぜ、この子がこんな苦しい目に遭わなければならないのだろう。この先、おかげを頂くことができるのだろうか」という不安を抱えた中で、教会の先生から「薬を一切やめて神様のおかげを頂かないか」と言われたのです。

 その日から、長男は薬の服用をやめ、教会で頂いたご神米とお神酒を頂くとともに、積極的に教会に参拝するようになりました。夫も、長男が懸命に神様におすがりしようとする姿に理解を示すようになり、参拝する時は車で送り迎えしてくれるようになりました。そうした生活の中で長男は成長とともに寝込むことが少なくなり、その後大学に進学し、就職することができました。
 しかし、社会人となって数年たったころ、再び体の変調を訴えるようになりました。検査の結果、肺気腫と診断され、入院しました。長男にも思うところがあったのでしょう。退院後は、以前に増して教会参拝やご用を中心にした生活を送るようになりました。その結果、長男に引っ張られる形で、私たち家族もいっそう神様に心を向けた生活をさせて頂くようになりました。
 長男は体調の優れない中にあっても、どこまでも神様にすがり、そのことを通して、私たち家族を信心の道に誘ってくれたのだと思います。

神様のお計らいの中の出来事

 7年前のこと、長男は体調の優れない中、教会のご大祭に私たち夫婦と参拝させて頂きました。しかし、参拝中に容体が急激に悪化し、その翌々日の深夜に亡くなってしまったのです。45歳でした。
 葬儀は、長男が生前に強く願っていた通り、金光教に改式し、金光教式で執り行いました。しかし、私は、学校に通えなくなると言われていた長男が45歳まで命をつないで頂いたことにお礼を申し上げながらも、「どうして?」という割り切れない思いが込み上げ、もんもんとしていました。

 そんな日々を送っていた私に、亡くなる直前の大祭に参拝した時に、長男が次のように話していたと、ある信者さんが教えてくれました。
 「小さいころ体が弱くてどうしたらいいのか分からなかった時、教会の先生が、『しんどいね。でも、神様がついていてくださっているから先生と一緒に頑張ろうね』と言ってくださったことを今でも覚えている。だから今日まで命を頂いていることがありがたくて仕方がない。そのお礼の信心をさせて頂きたい」。
 それを聞いた私は、神様が長男の思いを教えてくださったように感じたのです。そして、長男の死を、神様のお計らいの中の出来事と受け止めるとともに、みたまとなった長男が、今も私たちを導いてくれていると感じられるようになりました。その思いに応えられるよう、しっかりと信心させて頂きたいと思っています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

(「心に届く信心真話」金光新聞2016年3月27日号掲載)

メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2017/09/13 09:07:53.393 GMT+9



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