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生神金光大神大祭をお迎えして

 秋めいてくると、「今年もご大祭の季節がやってきた」と私たちは思う。
 「今年も」という言葉には、「今年も元気にお迎えさせていただける」という喜びと同時に、「さあ、忙しくなるぞ。大変だ」という思いも、わずかではあっても含まれているように思う。問題は、その「大変だ」という中身である。それが準備の大変さであったり、負担であってはならないと思うのであるが、毎年のことながら、金光教の信奉者にとって、ご大祭をお迎えすることは、やはり大変な、ことなのである。
 以前の私は、そのご大祭をお迎えするということがマンネリ化しないように、毎回、祭典に工夫をしてきた。しかし、その工夫もマンネリ化してきて、結局のところ、いつものように厳かに、ありがたく、ご祭典をお仕えできることが一番いいという原点に戻った。
 そこで気付いたのは、ご大祭をいつも新しい気持ちでお迎えする信心をすることが大切なのだという、極めてシンプルなことであった。
 そんな視点から、ご大祭とは何か、どんな信心を進めていけばよいかを考えてみたい。

 秋のご大祭は、今は、「生神金光大神大祭」という名称であるが、以前は、「金光大神大祭」、その前は「教祖大祭」という名称であった。もっとさかのぼると、明治17年10月28日(旧暦では9月10日)に「教祖1年祭」、より以前は、教祖様ご在世中の「金光大神祭り」が基になっている。
 「金光大神祭り」は教祖様のご信心がお進みになって、生活の全面に生きた神様のお働きを現されるようになられ、人が助かるようになり、神と人が共に立ち行く世界が開けてきたことを、神様と共に喜ばれて、教祖様ご自身がお仕えになっていた。
 また、この「金光大神祭り」に併せて、教祖様はご先祖様のお祭りも仕えられていた。それは、自らの助かりがそのまま、自分につながる先祖の助かりになるということで、「われながら喜んでわが心をまつり」「先祖様と共に助かっていく」という内容も含まれていた。

 さらに、教祖様ご帰幽後のご大祭は、教祖様の年祭でもあった。それは、ご生前中の「金光大神祭り」の日が、教祖様ご帰幽の日と重なったからである。神様の大切な日に現身を隠されたという「神様の仰せどおり」の生き方の集大成を見る思いがする。そこで、昭和59年からは「金光大神祭り」と、教祖様の年祭の両方の意味を込めて「金光大神大祭」となった。「神様の仰せどおり」に生きられた教祖様は今、何を感じておられるのだろうか。
 そして、平成10年からは、さらに加えて、世界・人類救済のために差し向けられた「生神金光大神」のご神願と、永世生き通しの生神金光大神を頂き直すことを願いとしての「生神金光大神大祭」となった。
 時の流れとともに進展していったご大祭の願いをあらためて頂き、み教えに込められた教祖様の思いを尋ねながら、「今年も」ご大祭をありがたくお迎えしたいと思う。

投稿日時:2017/10/02 09:00:00.000 GMT+9



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