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私を助ける霊(みたま)様の働き【金光新聞】

初代をしのんで徒歩参拝

 金光教には、亡くなった方の魂(=みたま様)を大切にする教えがたくさんありますが、私(51)はその中の「魂は生き通しである」という教えをなかなか実感できずにいました。
 金光教の教会長のご用をしていた私の父は、10年前、急に亡くなりました。生前、父は教会の近くにある初代教会長の奥城(おくつき=お墓)で、手を合わせて長い時間をかけてご祈念をするのが日課でした。初代は教祖様の元にお参りし、おかげを受けて、教会を開きました。父は、そのおかげで今の自分があるということを常に大切にしているようでした。
 父はそのお礼と初代を慕う思いから、年4回、初代がそうされたようにご本部のお広前まで6、7時間をかけて徒歩で参拝をさせてもらっていました。ある時、徒歩で本部参拝した父は、お結界で四代金光様から「どんな気持ちで歩いておるか」と尋ねられたそうです。父が、「初代をしのんで、せめてもの思いで歩かせてもらっています」と答えさせてもらうと、四代様は「それでええんじゃ。修行と思うて歩いたら、間違うてくるからなあ」と、み教えくださいました。

 初代が教祖様の元に初参拝してから今年で150年。初代をしのんで徒歩参拝していた、その父をしのんで今春、私と兄、弟夫婦、めいとその友人で、教会から本部広前まで歩かせてもらいました。
 歩いている最中、父が喜んでくれているように感じました。他の人たちも、それぞれに父をしのんで歩いていたようです。父は口数は少なかったですが、身内の誰もが「自分のことを一番お願いしてくれていた」と言うほどに、思いは厚く、いつも深い祈りをかけてくれ、誰もがそれに安心感を覚えていました。「しのぶ」という、信心に大切な情愛が、次の代に受け継がれている様子を感慨深く思いました。

生き通しの魂

 父が亡くなって数カ月後のこと、 ある方の葬儀式で私に笙(しょう)を奏楽してほしいと頼まれたことがありました。奏楽に苦手意識を持っていた私は、故人の大切な式を台無しにできない重責に、不安でたまりませんでした。「どうぞ、 お役に立たせてください」と神様と父のみたま様に一心にお願いして、心配を抱えながらも、できる限りの準備をして当日を迎えました。
 ところが、式直前の打ち合わせ中、笙の保温器が故障していることが分かりました。笙の奏楽には欠かせない物であるだけに、とても動揺しました。しかしその時、前日に実家の教会に帰った際、たまたま目にした父の遺品の中に保温器があったことを思い出したのです。すぐに連絡して、家族に会場まで持って来てもらいました。葬儀場が教会から近かったため、無事に間に合い、事なきを得たのです。

 父がその品となって、私のそばに来て、「神様にお願いしているから安心なさい」と言ってくれたように感じ、式本番も落ち着いて奏楽できました。それからは姿は見えなくても、事有るごとに「神様にお願いしてね」と、父に語り掛けています。
 信心をさせてもらえば、誰であっても神様から人を助けるご用に使って頂けます。そして、亡くなってからも、生き通しの魂として、人のことを祈り、助ける働きを現せるのだと思えるようになりました。今を生きる私たちがみたま様をしのび、慕うことで応えてくださる働きが生まれてくるのだと思うのです。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

(「心に届く信心真話」金光新聞2016年8月7日号掲載)


メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2017/12/27 10:00:00.000 GMT+9



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