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天地金乃神大祭を迎えて ―神は人のなかに―

金光教報 「天地」4月号 巻頭言

 寒のよい日が続いた冬も過ぎ、柔らかい日差しの中、新しい息吹きを感じさせる春が巡ってきた。
 「春風に似たるこころを持ちたしと吹く春風に吹かれつつ思ふ」
 四代金光様のお歌に、心が和み、安らぐ。今年も天地金乃神大祭が、4月1日、5日、8日と、本部広前祭場で執り行われ、そのご比礼を頂いて、各地のお広前でも同様に仕えられる。誠にありがたいことである。
 現教主金光様は「神は人のなかにあり、人は神のなかにあるのです。人は、誕生とともに神性(神心)を与えられております。人間は、自分の心の中にいる神様の存在に気がつかないといけないのです」と、み教えくださっている。

 利守志野師は、教祖様のもとに参拝して、わが子、千代吉の肺結核が治るようお願いした。ところが、教祖様は「お天道(てんとう)様のお照らしなさるのもおかげ、雨の降られるのもおかげ、人間はみな、おかげの中に生かされて生きている。人間は、おかげの中に生まれ、おかげの中で生活をし、おかげの中に死んでいくのである」と、ご理解された。
 千代吉さんは、母親の志野さんから、み教えを聞いて、「わしは金光様の教えを聞いてびっくりした」と語っている。おかげはすでに頂いていると聞かされて、非常に驚かれた。そして次第に息の差し引きまでもありがたくなり、薄紙をはぐように徐々に回復され、明治12年、23歳の時に初めて教祖様のもとにお礼参りをされた。後には教師となって光政教会を開かれ、人を助ける御用に立たれた。「人は神のなかにある」ということに気付き、悟り、病気全快のおかげを頂かれたのである。
 また、教祖様は「夫婦げんかをしても、後から心が折り合う時、よく考えてみるとわけがわかる。この事柄を自分でわかるということは、神からお与えくだされた御霊(みたま)が、体の司(つかさ)だからである」ともみ教えくださっている。

 ここで、小学6年生が書いた「かつお」という作文を紹介したい。
 「けさ学校来がけに母と言いあいをした。ぼくはどうにでもなれと、母をボロクソに言い負かしてやった。母は困っていた。そうしたら昼になって、母の入れてくれた弁当のふたを開けたら、僕の好きなかつおぶしがパラパラとふりかけてあった。おいしそうに匂っていた。それを見たら、ぼくはけさのことが思い出されて後悔した。母はいまごろさみしい心で昼ごはんを食べているだろうかと思うと、すまない心がぐいぐい込みあげてきた」
 少年の中に、神から頂いている神の心が生まれ、その神心に導かれて、心が折り合い、母親を思う心が込み上げてきたのである。「神は人のなかにあり」とのお言葉のように、人間はみな心の中に神様を頂いている。「ありがたき、恐れ多き、もったいなき」ことである。

 しかし、人間だけでは、神は人のなかにあることも、人は神のなかにあることも、気付き、悟ることはできない。教祖様は「此方(このかた)金光大神あって神は世に出たのである。…神からも氏子からも両方からの恩人は此方金光大神である」とのお言葉を神様から頂かれた。天地金乃神様が、生神金光大神様を差し向けられ、その生神金光大神取次によって、私たちは親神様に出会うことができ、難儀な氏子が助かり立ち行くおかげを受けられるようになったのである。
 天地金乃神大祭をお迎えするに当たり、そのお徳の中に生かされる喜びを確かにするとともに、あらためて天地金乃神様のご神願と教祖金光大神様のご信心を一層に頂き直し、一人ひとりの生活に、神と人とあいよかけよで立ち行く「神人の道」を求め現してまいりたいものである。

金光教財務部長 山下 輝信

投稿日時:2018/04/02 09:00:00.000 GMT+9



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