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天地の恵みを忘れんように

金光教報 「天地」5月号 巻頭言

 六条院教会の初代、高橋富枝先生の初参拝は、教祖様ご立教の翌年、万延元年(1860年)頃のことですが、その先生が御神米について次のように伝えておられます。
 「私がはじめて参拝した時、すでにご神米を下げられるようになっていた。『神米は手を漬けずに七洗うもので、それでしゃんと水が澄む。それを干しあげたところで、お下げしたお神酒をかけて、再び干すものである』と金光様から教えられた」

 私の在籍教会では、毎年の寒期間(立春前30日間)に、御神米用のお米洗いをさせていただいています。新米を洗い、お神酒をかけて乾燥させたものを、ご神前にお供えします。そこから、割れたものなどを外して選より分け、お剣先(手漉き和紙を折った剣先状の紙)に包んだものが、御神米です。心を込め、祈りを込めて調整させていただいています。
 教祖様の頃は、お洗米と呼んでいたようで、「お洗米で人は助かる」「神信心してお洗米を千枚いただけば、身に徳を受けることができる」などと教えてくださっています。

 御神米は、神棚などに奉って神様を拝む目当てにしたり、日々お守りいただくことを願って身に付ける人もいます。また、食事のとき一粒ずつ頂いている人、病気や心配があるとき頂いている人、旅行や受験のとき身に付けるという人、ご飯を炊くときに混ぜて頂いている家族など、頂き方はいろいろです。
 そこから生まれてくるおかげは、頂く者の心々にあると言われますが、とりわけ、「神と人との関係、関わり合いを忘れないため」ということを心得ておくことが大切でしょう。四代金光様も、御神米について、「天地の恵みを忘れんようにお下げするんじゃ」とおっしゃっています。

 お神酒についても、御神米と同様に、天地の恵み、神様の働きの込められたものという意味合いがあり、教祖様は、明治12年には、「かぜひき、頭痛、熱気、咳つき、大人、子供とも風呂へ入り、ぬくもり、お神酒いただき休み、晴れるように願い」と、神様からお知らせを頂かれています。
 また、翌13年には、四神様の奥様(喜代様)が難産の様子であった時に、「お神酒いただかせ、腹へ吹きかけてやれ」とのお知らせを頂かれ、ほどなくお生まれになったのが、のちの三代金光様(攝胤様)です。

 教祖様は、「お神酒をいただけ」「痛き所あらば、お神酒をつける心になればおかげがある」などと、多くの方々に教えられました。頂き方は人それぞれであり、患部にお神酒を吹きかけたり、お神酒を擦りこんだりする人もあるようです。それは、祈りを吹きかけ、願いを擦りこんでいるのであろうと思います。
 御神米・お神酒について、奇跡的なおかげを頂いたという話は、これまで数多く残されていますが、それは、ご祈念、御取次の中で生まれた、それぞれの一心の願いによる賜物でありましょう。

 御神米・お神酒は、天地の恵みの象徴であり、祈りの込められたものではありますが、世間一般で言われる「お守り」ではありません。やはり頂く者の心、信心によって神様がお働きくださり、おかげが現れるのであろうと思います。
 教祖様は、お神酒がなければ、水でも「神様の御物と思っていただけば、お神酒と同じことである」とも教えておられます。その意味で、御神米やお神酒を頂くのと同じように、食物すべてをありがたく頂く稽古をさせていただきたいと思います。

教会部長・田淵美賀雄

投稿日時:2018/05/01 6:27:12.611 GMT+9



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