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我(が)を砕き神願に生きる【金光新聞】

教会は人の助かる場所

 平成7年1月17日早朝、私(37)は、奉仕する教会で阪神淡路大震災の激震に襲われました。
 幸い私も含め家族にけが人はなく、皆無事でした。そして、木造建ての教会は倒壊は免れたものの、床や階段はゆがみ、いつ倒壊してもおかしくない状態でした。
 翌日、家族は実家に一時避難しましたが、私は、教会や信奉者の方々のことがあるので、教会に残ることにしました。
 教会には友人や知人が安否を気遣って遠方から何時間もかけて駆け付けてくれました。大変ありがたく心強かったです。その中の一人の友人が「この教会を拠点にして、被災した教会の復興のお手伝いをしないか」と言いました。私は一瞬ちゅうちょしましたが、その友人とは日ごろから「金光教の教会は人々が助かる場所でなければならない」と、熱く語り合っていましたので、すぐに思い直して、彼の申し出を受けることにしました。

 そして、その友人、関係者数人で復興作業の奉仕活動をスタートしました。ところがそのことをどこから聞いたのか、全国各地から多くの人がボランティアに来てくださるようになり、 いつの間にか教会は、工事現場の作業員宿舎のようになったのです。
 それから約1カ月、私は毎日の作業に加え、ボランティアの受け入れなどの対応に追われ、その気疲れからか下痢と睡眠不足からくる体調不良に悩まされました。そして 「他の教会の復興活動ばかりしているが、 いったいこの教会はどうなるんだ」 「自分の時間と場所がない」 などと、先行きの見えない不安や不平不満の心が出てきたのです。
 そして、いよいよ心身とも追い詰められたある日、私はありのままの気持ちを神様にお話し申し上げるように、ご神前で祈り続けました。

祈り祈りて 我を砕き神願に生く

 その時、 ご神前に掲げていた色紙の「祈り祈りて 我を砕き神願に生く」という言葉が目に飛び込んできたのです。この色紙は私が教会に後継者として入らせてもらう時に師匠から書いて頂いた物でした。そして、 「我とは、自分の身がかわいいという我。神願とは、ただ一つ、人が助かるということです」という師匠の言葉を思い出しました。私は神様から「今の心でいいのか」と問い掛けられたように感じました。それからの私は師匠の言葉を心に刻み、その時その場で 「金光様」 と祈りながら活動に取り組むことに努めました。すると不思議なことに下痢も治り、よく眠れるようになり、腹も立たなくなったのです。
 そしてその1カ月後には、活動拠点が別の場所に移転するという話とともに、教会の再建話が持ち上がりました。
 私はその話を聞き、ここまでの活動を振り返りつつ神様に祈っていると、神様のおかげを頂きながらここまで活動させてもらったという感謝の気持ちがだんだんと込み上げ、涙があふれ出てきて、「金光様ありがとうございます」と泣き叫んでいました。

 人間は自分のことだけを考えるという"我"があります。しかし一方で「お役に立ちたい」という心もあります。その心のままに、祈り祈り奉仕させて頂くところに我が砕けて、自分も周りも助かっていく世界が開けていくことを実感した出来事でした。
 現在、私は若い人たちにもお役に立つことの喜びを伝えたいと願って、青少年育成団体を結成し、集会をはじめ、災害の際にはボランティア活動に取り組んでいます。


※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

(「心に届く信心真話」金光新聞2017年1月15日号掲載)
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2018/05/03 12:08:04.303 GMT+9



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