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先生の祈りの中で受験【金光新聞】

受験勉強中、ふと思い出した

 40年以上前のことです。当時、 高校3年生だった私は、哲学を専門的に学べる私立大学への進学を目指して、夏休みには全く日焼けしないくらい勉強に打ち込み、試験直前の冬休みも猛勉強しました。
 受験勉強には、もっぱら通信教育の教材を使い、手ごわい問題を参考書や辞書を片手に解いては毎月郵送し、添削してもらいました。返送されてくる私の答案は、いつも真っ赤でしたが、丁寧に添削された問題を暗記するほど何度も復習することを心掛けました。
 志望する学科の定員はわずか30人。毎年かなり高い競争率でした。合格できる自信がない私は、不安にさいなまれそうになると、教会のおばあちゃん先生のことを思い出しました。
 熱心に信心する両親の元で育った私は、小学生のころから教会のお結界で先生にごあいさつするのが楽しみでした。お参りするととても喜んでくださるからです。お広前の戸を開けた時、いつもお結界に座る先生のお姿が目に入ると、自然と安心感に包まれました。中学生になると、自転車で1時間の道のりを一人で参拝するようになりましたが、待っていてくださる先生を慕うような気持ちで自転車を走らせていました。
 高校に上がってしばらくたった時のこと。高齢の先生は目が不自由でしたが、変わらずお広前のご用をされていました。ある日、私が参拝し、お広前の戸を開けようとした瞬間、先生が私の名前を呼ばれたのです。私は驚き、見抜き見通しの神徳を感じずにはいられませんでした。

先生の祈りを受けて不安が吹き飛んだ

 高校生活最後の学期が始まる前日、いつものように教会へ自転車で向かいました。真冬日で強い風が吹いていて、受験の不安が一層増すような厳しさを感じながら、私はペダルをこぎました。
 お広前でご祈念をしてお結界に進むと、先生が「今日も自転車ですか。寒い中をよくお参りになりましたね。いよいよ、大学受験ですね」と優しく声を掛けてくださいました。その言葉に、先生がずっと私のことを祈ってくださっていたんだと実感し、とてもうれしい気持ちになりました。
 教会からの帰り道は、冷たい向かい風で往路より大変なはずなのですが、受験の不安もどこかにいき、心が浮き浮きしてペダルも軽く感じるほどでした。
 そうして迎えた試験当日、不安と緊張でどきどきしながら電車に揺られ、会場に着きました。開始直前に問題用紙が配られる間、心を落ち着けようと目を閉じると、お結界に座る先生の柔和なお顔がはっきりと浮かびました。そして、試験が始まると、私は衝撃を受けました。苦手な教科の出題が、通信教育で暗記していた問題と全く同じものだったのです。それも驚くことに2教科でそうでした。

 帰りの電車で車窓を眺めながら、「行きはあれほど不安だったのに、今こうして安心感で満たされている。いったいこれはどうしたことだろう」と、とても不思議な思いになりました。そして、私がここまで一生懸命勉強に取り組めて無事に受験できたのは、先生の深い祈りがあって、神様が道をつけてくださったのだと素直に思えました。
 合格発表の日、私に代わって会場へ見に行ってくれたいとこからの吉報を知らせる電話を切ると、一刻も早く先生にお知らせしようと、寒風の中、自転車のペダルを力強く踏み込みました。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

(「心に届く信心真話」金光新聞2017年1月22日号掲載)
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2018/05/04 04:11:21.378 GMT+9



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