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子どもたちの幸せ願う【金光新聞】

幼い頃からの発作

 私(45)は持病があり、幼いころからたびたび発作を起こしていました。
 両親は毎日教会に参拝して私の立ち行きを祈ってくれました。いつも発作が起こった時は母がそばに付いて、「金光様」とお唱えしながら私の体をさすってくれたことを覚えています。そんな両親や教会の先生の祈りに包まれて、私も自然と教会に参拝するようになると、少しずつ発作も治まっていきました。高校卒業後は、子どものころからの夢だった保育士を目指し、専門学校に進学しました。
 しかし、ある日、通学途中に発作が起こり、道端で突然意識がなくなり病院に運ばれたことがありました。
 意識が戻ると、医師から「今後も治療が必要ですが、服用する薬の影響で将来的に出産は難しいかもしれません」と言われました。学生だった私は大きなショックを受け、その言葉が心の傷になり、ずっと私を苦しめました。

 その後、専門学校を卒業し、地元の保育園で保育士として第一歩を歩み始めることができました。
 子どもたちと関わっていく中で、いろいろな性格の園児たちがいることが分かりました。そして、周囲との適応が難しい園児の場合、他の子どもたちよりも手が掛かるにもかかわらず、十分にお世話ができないという現状に気が付きました。
 私自身も保育園児のころはよく発作を起こし、先生のお世話になりました。また急に発作を起こすので、周りから変な目で見られたり、嫌な顔をされたりして、孤独を感じていました。そのようなかつての自分とも重なり、そうした子どもに目が向くようになりました。
 そして次第に障害を持った子どもたちのお世話がしたいという思いが強くなった私は、あるNPO法人の支援施設で働くようになりました。

純粋な子どもたちとともに

 時には子どもたちにかみつかれたり、たたかれたりするなど、肉体的にも精神的にも大変な職場です。それでも「先生、先生」と言って慕ってくれ、また頼ってくれる子どもたちがいることが何よりもうれしく感じます。そして、子どもたちの純粋な心に教えられることが多々あります。
 例えば、それまでけんかばかりしていた子どもたちの一人が急に具合が悪くなると、皆がその子のことを心配して背中をさすってあげたり、毛布を持ってきてあげたりします。人を思いやる温かい行動を目の当たりにでき、心が癒やされるとともに元気をもらいます。
 また、日頃付きっきりでお世話をしている親御さんの負担を少しでも軽減できたらと神様にお願いしながら働かせてもらっています。子育てなどの悩みも聞かせてもらう機会も多く、「聞いてもらって気持ちが楽になった」と言って頂いた時には、とてもうれしくやりがいを感じます。

 現在は全く発作が起こりませんが、医師の言葉通り、子どもを授かれませんでした。しかし、施設の子どもたちと出会うことができました。そして私の持病を理解した上で18年前に結婚した夫と幸せに暮らしています。今では、夫も信心させてもらうようになりました。
 両親が私の幸せを願い続けてくれたように、今度は私たちが施設の子どもたちの幸せを願わせてもらい、子どもたちが自立して生き生きとお役に立つ人になる手助けをさせてもらいたいと思っています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

(「心に届く信心真話」金光新聞2017年2月26日号掲載)
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2018/05/17 16:40:07.994 GMT+9



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