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本当の立ち行きを願う【金光新聞】

懸命に突き進んできたけど

 ミュージシャンに憧れていた私(58)は、20歳の時に両親の反対を押し切り、上京しました。その夢は破れましたが、私は東京で妻と結婚し、清掃会社に就職して、充実した日々を過ごしていました。
 しかし、私たち夫婦は、流産を含め生後間もない子を、5年の間に3人も亡くしてしまいました。そのことを心配した親戚が金光教の信心を勧めてくれ、私たちは教会に参拝するようになりましたが、しばらくすると、仕事に追われるようになり、気付けば全く参拝しなくなっていました。
 それから10年ほどたったころ、夫婦で清掃会社を起業しました。事業が軌道に乗り始めた矢先、私が過労で体調を崩し、しばらく休業せざるを得なくなりました。そんな時、妻が妊娠したことが分かったのです。
 喜びでいっぱいの反面、子どもが無事に生まれてきてくれるのか、休業中のことでもあり、今後のことがとても不安になった私は、再び教会に参拝するようになりました。教会でお取次を頂く中で、私の体調も回復し、妻も女の子を無事に出産できました。その後続けて男の子も授かり、仕事も順調で、事務所を兼ねたマイホームを持つこともできました。

 そのように東京での生活基盤が整っていったのですが、だんだんと実家のことが気になり始めました。というのも、若いころに家を飛び出したものの、年老いた両親が営む商店と、先祖代々続くお墓のことは、長男である私に責務があると感じていたからです。しかし、これまで懸命に築いてきた東京の生活を手放すことはできないという思いが強くありました。その一方で、亡くしたわが子たちの遺骨を納骨できずに家に祭ったままだったことも気掛かりでした。

意を決して思いを伝える

 上京して40年近く。振り返ってみると、実家を出た負い目を抱えながらも、自分たちのことだけで精いっぱいで、きちんと実家や両親と向き合うことはありませんでした。教会へのお参りを続けてきたのも、東京での生活で直面した問題の打開を神様に願ってきただけのことで、その先にある本当の立ち行きを願っていなかったことに気付いたのです。
 そこで、妻と教会にお参りし、あらためて私たち家族と両親の立ち行きをお願いさせて頂き、その数日後に上京以来初めて帰郷しました。実家に着くと弟たちも来てくれていて、私は意を決して、東京で生涯暮らしたいこと、金光教の信心をしていきたいことを伝えました。
 すると、ずっと黙っていた父が口を開き、「金光さんの信心をするのは構わん。いい宗教だし、孫も助けてもらってきたんだから」と言ってくれたのです。弟たちも実家のことは心配しなくてもいいと言ってくれました。

 後から聞くと、 両親は私たち家族のことをずっと気に掛けてくれ、私を信心に導いてくれた親戚からいろいろと話を聞いていたようです。東京に戻った私は、すぐに教会へ参拝し、涙ながらに神様にお礼申し上げることができました。
 3年前、私たち家族は金光教に改式し、都内にお墓を建て、納骨を済ませることができました。納骨祭当日、娘が「これで兄、姉のみたま様たちも喜んでくれているかな」と、教会の先生にお聞きすると、「あなたたち家族、そしておじいさん、おばあさんとこれからも仲良くすれば、もっと喜んでくれますよ」と、話してくださったことが心に残っています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

(「心に届く信心真話」金光新聞2017年3月5日号掲載)
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2018/05/18 16:00:22.613 GMT+9



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