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わが心の神に感謝を捧げる

金光教報 「天地」10月号 巻頭言

 生神金光大神大祭は、さまざまな苦難の中、このお道を開いてくださった教祖様への御礼の祭典であるとともに、永世生き通しの取次の神としてお働きくださっている生神金光大神様への御礼の祭典であり、また、我々信奉者一人ひとりが、その働きを受け現すことを祈らせていただく祭典です。
 そうとして、教祖様が生前にお仕えになっておられた「金光大神祭り」とは、どういうものであったのでしょう。『金光教教典用語辞典』によると、「取次によって人を救い助ける金光大神の働きに感謝する日」であったようです。
 西川良典教務総長は、折りに触れて、「教祖様は、神様との対話をとおして、生活全体の在り方を整えていくようになられました。そして、自らの内に神様の働きが存在することを確信していかれます。『わが心に生きたる神様がござる』『わが心でわが身を救い助けよ』、また、『分け御霊(みたま)』『神心』とおっしゃっているのは、自らの内に存在する『神の働き』のことでありましょう。教祖様は、『生神金光大神様、生神金光大神様』と繰り返し唱えて、願い込みに入られたと伝えられていますが、これは、自分の内にあって自分を助け導く働きを頂こうとされた、ということを物語るものではないでしょうか」と語っています。教祖様は、金光大神祭り日に、自らの内にある神様の働きに感謝を捧げられていたのではないでしょうか。
 芸備教会初代教会長・佐藤範雄師は、「神まつる心に神はいますなり まつれわが身を神の宮居と」と詠まれました。わが身を神の社と頂き、わが心に神様をまつることを促しておられるようです。同じく芸備教会在籍で、『金光教の本質について』を著した高橋一郎師は、「『わが内に生神金光大神が生き給う』ことになるのでなければ、真に取次ぎ助けられたということにはならない」と述べておられます。
 また、白金教会二代教会長・和泉乙三師は、「生神金光大神、天地金乃神と申しただけでは、神様の概念だけをつかまえているにすぎません。生きた神というのは、その人その人によって現れ方が違う。親教会へ参るというのは、親先生にお現れ遊ばされた神様を拝む。芸備教会へ参るというのは佐藤先生に、大阪教会へ参るというのは白神先生に、お現れの神様を拝むのです。そこに意義がある」と、お話しになっています。私たちが心におまつりした神様は、どのようにお現れくださっているのでしょうか。
 教主金光様は、「神は人のなかにあり、人は神のなかにあるのです。人は、誕生とともに神性(神心)を与えられております。人間は、自分の心の中にいる神様の存在に気がつかないといけないのです」とおっしゃっています。神様は人をとおして現れ、人を助けたいと願ってくださっています。金光様は、そのことに気付かないといけないとみ教えくださっているのだと思います。わが心に神様をおまつりし、神様との対話を深めていくこと、その稽古の積み重ねから神様がお現れくださり、「神人の道」が開かれてくるのではないでしょうか。
 このように頂いてみますと、生神金光大神大祭は、信奉者一人ひとりが、自らの内にあって自らを救い助ける神様の働きに感謝するお祭りである、とも言えるように思います。
 基本方針の副題に、「神心となって、人を祈り、助け、導く」と掲げています。その実践につなげるためにも、わが心に神様をおまつりし、わが身に神様がお現れくださるような、神様と共に生きる信心生活を目指してまいりたいと存じます。

 
(田淵 美賀雄・教会部長)

投稿日時:2018/10/01 9:23:52.253 GMT+9



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