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お礼と願い込めて炊飯【金光新聞】

やってしまった

 昨年の敬老会の朝のことです。私(44)が奉仕する教会では、教会行事のたびに婦人会でお弁当を手作りすることになっていて、炊飯は私の受け持ちでした。おにぎり弁当用の3升のお米を前夜のうちにといでおき、翌朝、ガス釜の炊飯開始のスイッチをいつものように押しました。すると、5分たつかたたないかの間に上がってしまったのです。「なぜ?」と思いながら、ふたを開けた瞬間、「しまった!」と、心の中で叫んでしまいました。水を入れ忘れていたのです。
 恐る恐るお米をかき混ぜると、まだサラサラの状態でした。「よかった。これなら炊き直せる」と安心した私は目盛まで水を注ぎ、再びスイッチを入れました。ところが、ほっとしたのもつかの間、またすぐにスイッチが上がったのです。ふたを開けてみるとゴッチンご飯(西日本の方言で芯のある生煮えご飯のこと)になっていて、炊き直せない状態でした。

 しかし落ち込んでいる暇はありません。1時間半後の午前9時には、40人分のおにぎりを握り始めないと間に合わないのです。「みんなが来る前にご飯を炊き直さないと」と思い、急いでゴッチンご飯を別の容器に移し替えました。あらためて失敗したご飯量の多さを実感し、「金光様、金光様」と半泣きになりながら、移し替えました。
 釜の底にはご飯が焦げ付いてなかなか取れません。洗い流せば早いのは分かっているのですが、どうしてもそれはできませんでした。なぜかというと、私の頭には、私が幼いころの祖父母の姿が浮かんできたからでした。祖父母はたとえ一粒のお米でも神様のお恵みだからと大切に扱い、食事のたびに食べ物の大切さを話してくれました。
その姿を思い出しながら、焦げをこそぎ落としてはざる4 4 に入れる作業を繰り返し、何とか洗い終えて再度ご飯を炊きました。そんなこんなで、ご飯が炊き上がったのはみんなの到着数分前で、ぎりぎり間に合わせることができ、敬老会も無事に終わりました。

改めて天地のお恵みに気づく

 しかし、3升のゴッチンご飯は残ったままです。家族に協力してもらったとしても、食べ終えるのに何日かかるのか、と途方に暮れました。ご飯は、水を入れてスイッチさえ押せば、おいしく炊けて当たり前だと思い込んでいましたが、全て神様が良いように整えてくださる中で炊飯できていただけなのだと気付くことができました。
 神様へのお礼とお願いが抜けていたことをおわびして、ここからは天地のお恵みに感謝して喜んで料理しよう、と気持ちを切り替えました。豚丼や親子丼、カレーライスなどに加えて、新たなレシピにも積極的に挑戦しました。すると、家族は不満を言うどころか、「硬めのご飯も結構おいしいよ」「次は何かな?」と言ってくれたのです。おかげで食卓の会話は増え、楽しみながら1週間で完食できました。

 私の不注意に端を発した一連の事件は、家族の食を預かる私を、改まりへと導いてくれました。さらに、小学生の子どもがゴッチンご飯を食べながら、「給食のご飯がなんかすごくおいしいの」と話すのを聞いて、飽食の時代に生きる子どもたちに食べ物の大切さを伝えるという、願ってもない機会になったのではないかと感じます。家族には内緒ですが、あの硬いご飯の味に、こっそり感謝する私です。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

(「心に届く信心真話」2017年10月1日号掲載)
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2018/11/14 10:04:13.216 GMT+9



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