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神様と一緒に被災地へ【金光新聞】

7年前の体験

 30年以上前、私(69)は初めて金光教本部の修徳殿(※)に入殿しました。もともと父が入殿する予定が、病気で行けなくなり、 急きょ私が代わって参加したのです。その時、懇談の場で先生が「事情はどうあれ、あなたが入殿しようという思いになった、そのことがとても大事なのですよ」と話してくださったことが強く印象に残っています。
 また、知り合いに誘われるままに始めた典楽のご用も現在まで続いています。そして、その典楽のご用を通し、多くの先生や信奉者と交友が広がり、気が付けば現在まで信心をさせて頂いています。振り返ると常に、神様が導いてくださっている中での歩みだったように思えるのです。そして次第に、身の上に起きてくる事柄を、神様がお働きくださっている中でのこととして受け止めていくようになりました。

 そんな私が、7年前、そのことをさらに強く実感する体験をしました。それは、東日本大震災が発生した時のことです。
 当時、私の息子は茨城県のひたちなか市で働いていました。無事は確認できましたが、とにかく行かねばという気持ちでいっぱいで、妻と二人で水や物資を持って、自分たちの住む大阪から息子の元へ向かいました。
 しかし、交通機関は大きな被害を受けていて、結局東京からは先へ進めず、息子に会うことはできませんでした。
 その数日後、息子から電車とバスを乗り継いで行くルートを教えてもらいました。はやる気持ちを押さえて教会へ参拝すると、先生が「神様と一緒に行かしてもらいなさいよ」とおっしゃり、見送ってくれました。
 当時関東地方では、原発事故の影響で電力が不足していて、計画停電のために電車が目的地までたどり着けないこともあると言われていました。

無事に息子に会えた

 そんな中、東京から秋葉原へ着き、手間取りながら水戸までの切符を買ってホームに向かいましたが、すでに茨城へ向かう最終電車の発車時刻になっていました。半ば諦めながらホー
ムに駆け上がると、駅員さんが私と妻に気付き、出発を待たせてくれました。おかげで、私たちはその日のうちに息子に会うことができたのです。
 帰路も、交通は制限されていて、どこの駅にも人があふれる中、どうにか東京駅まで戻りましたが、時間的にその日のうちに大阪に帰るのは無理だろうと思いました。その時ふと、先生がおっしゃった言葉を思い出したのです。「神様と一緒にここまで来たんだった。私たちがここで諦めたら、神様に申し訳ない」。そう思い直して、新幹線乗り場まで急いで向かうと、大阪行きの最終に間に合い、何とか滑り込むことができたのです。

 ゆっくりと新幹線が動き出す中、「『神様と一緒に』とは、こういうことか。思えば、最初に茨城へ行こうとしていた時は、自分の思いばかりで勝手に行って、結局諦めて引き返してしまったなあ」と思い返していました。この体験を通して、私の人生において、変わらずお働きくださる神様の存在を一層強く感じました。
 「これからも常に神様と一緒にという思いを離さずに生活を進め、自分にできることは何かを、神様に問い掛けながら生活していきたい」。夜の車窓に映る自分を見ながら、心の中でそう決意したのです。
※修徳殿=信奉者がご霊地において金光様のお取次を頂きながら信心を進める研修施設。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

(「心に届く信心真話」2018年5月27日号掲載)
メディア 文字 金光新聞 信心真話 

投稿日時:2019/07/17 09:47:19.578 GMT+9



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