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ご立教にかけられた神様・教祖様のみ思い

 11月15日は立教記念日です。安政6年(1859年)に、神様から教祖様に、「その時死んだと思うて欲を放して、天地金乃神を助けてくれ」という立教神伝が下がった日であり、ご本部では毎年、立教記念祭が仕えられています。本年はとく
に、立教160年立教記念祭として仕えられ、記念のみ祭りを迎えるに当たり、あらためて立教神伝に込められた神様・教祖様のみ思いに、心を寄せていくことが願われています。
 神様は、当時の難儀に苦しんでいる人々を見て、何とか助けたいと思われて、実意丁寧神信心な教祖様を見いだされ、弟子として引き受けられ、さまざまな修行を教祖様にさせられました。そして教祖様は、生神金光大神というご神号を頂かれるまでに、神様のご信用を受けられました。
 神様から教祖様に下げられた立教神伝は、42歳の大病で死んだと思って、欲を放して生活を支えてきた農業をやめ、お取次に専念して、難儀な人を助けるという、大変な覚悟を伴ったものでした。
 逆に言えば、難儀な人を助けるには、欲を放して、全身全霊を懸けていかなければ、できるものではなく、他のことをしながら片手間にできるほど、たやすいことではないということでしょう。
 しかし、他職に就かず、神様に養っていただくのは容易なことではなく、それこそ命を懸けるほどの覚悟が要ります。さらには、家族のことを考えると、その覚悟が鈍るのは無理もないことと言えます。その葛藤の中で、神様に、自分を含め、家族のこともお任せできるかどうか、そこが問われていると感じるのです。教師は、そこにもう一度立たなければいけないと思います。
 一方、信徒は仕事をとおして社会のお役に立ち、人を助ける働きを担い、さらには、信心を進めていくことが求められています。しかし、そのことができていくためには、日々お取次を頂き、神様のお働きを頂きながらのことでなければ、ついついわが力でするようになり、立ち行かなくなってしまいます。
 日々、我情我欲になっていないか、わが力で進めていないか、自分を見つめ直し、そうなりがちであることのお詫びをし、そして、生かされて全
てのことをさせていただいているお礼を申し上げる。
 また、自分でできるのではなく、神様にさせていただいて何事もできるのであるから、お願いしながらさせていただく信心生活を徹底することで、経済のおかげ、人間のおかげ、健康のおかげがそろい、代々続いていくと言われるおかげが頂けるのです。
 そして、そのような信心生活を、信者のみならず、教師にも共通した課題として徹底し、わが家庭に助かりを実現し、多くの人がそういうおかげを頂けるよう誘いざなっていくことが大切です。
 それは、我が をなくしていく稽古と言ってもいいかもしれません。わが力でやろうとする我、自分さえよければと思う我、それらの我をなくし、神様にさせていただき、われひと共に助かることを祈っていく在り方を徹底できるかどうかが、経済と人間と健康がそろうおかげを頂けるかどうかの岐路になると思います。
 このお年柄に、あらためて立教神伝に込められた神様・教祖様のみ思いに心を寄せ、欲を放して信心生活を徹底する覚悟を持ちたいと思うのです。
(学院長・高橋寛志)

投稿日時:2019/11/01 09:12:09.257 GMT+9



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