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エイばあちゃんにお礼【金光新聞】

とっさに叫んだ

 「エイばあちゃん、今日もありがとう」。心でそうつぶやきながら、私(73)は自宅のご神前で毎日手を合わせます。
 明治生まれの祖母、エイばあちゃんが、金光教の信心を始めたのは農作業中に起こった出来事がきっかけでした。馬を使って畑を耕していた時、急に馬が暴れだし、エイばあちゃんを引きずるように走り始めたのです。
 危機一髪で、たまたま近くに居合わせた金光教の先生が助けてくれました。それがきっかけになり、エイばあちゃんは金光教の教会にお参りするようになりました。エイばあちゃんは小柄でしたが、朝夕欠かさず熱心に祈る姿は、大きく包み込んでくれるような温かみにあふれていました。
 私は幼い頃、エイばあちゃんに連れられて教会によくお参りしました。教会で出会う信者さんは口々に、「エイさんは誰に対しても親切で丁寧だね」「人の悪口は決して言わないよ」などと教えてくれます。他の信者さんに慕われているエイばあちゃんのことを、子どもながらに誇らしく思っていました。そんなエイばあちゃんは、私が20歳の時に亡くなりました。

 それから数年後、社会人になった私は、出張先から早く帰ろうとして山越えの近道を車で走っていました。冬で日暮れも早く、暗い
雪道でした。ちょうど山頂に差し掛かり、街の明かりが見えた一瞬、カーブでハンドル操作を誤り、ブレーキを踏んでも間に合わず、車ごと崖から滑り落ちてしまいました。
 「ああ、もう駄目だ。金光様、エイばあちゃーん!」
 とっさにそう心の中で叫び、これまでの人生が走馬灯のようによみがえってきた瞬間、ドンッと何かにぶつかったような激しい衝撃音がして車が止まりました。大きな切り株が車を受け止めてくれたのです。そのおかげで軽傷で済み、私はエイばあちゃんが助けてくれたんだと感じました。

信心の橋渡し

 その後、結婚した私は実家を離れ、県外で勤めるようになり、教会への参拝は遠のきましたが、エイばあちゃんのことをたびたび思
い出しては、その都度、心が温かくなることがありました。
 5年前、突然妻が病気で余命宣告を受けました。子どもや親戚の協力もあって自宅で療養しましたが、妻の余命が少なくなっていくのを感じるにつれ、近くの金光教の教会にお願いして妻を見送りたいという思いが強くなっていきました。
 以前から道すがら見掛けていた教会に事情を説明して、お願いすると快く受けてくれました。
 その後、妻は何度も危篤になりましたが、電話で教会に病状をお届けするたびに持ちこたえました。そんなことを繰り返しながら、医師から宣告されていた余命を超える命を頂き、静かに旅立っていきました。

 妻の葬儀後、私はこの教会に参拝するようになり、今では信徒会のご用をはじめ、教会の境内や奥城(おくつき)の草木の手入れも、自分のご用と受け止め、日々ありがたく取り組んでいます。妻のことがきっかけで、教会へお引き寄せ頂きましたが、これもエイばあちゃんが橋渡しをしてくれたのだと思っています。
 毎日の生活全てのことを、エイばあちゃんのみたま様のお働き、お導きによって、少しずつ良い方へと運んでもらっています。今日も自宅のご神前で手を合わせ、エイばあちゃんのみたま様にお礼を申し上げました。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

(「心に届く信心真話」2018年11月4日号掲載)
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2019/12/19 09:28:02.523 GMT+9



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