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神働きは私の信心次第 【金光新聞】

信心の仲間を失って

 「先生、おはようございます」
 誰もいないお結界に向かって、その日も私(59)は大きな声であいさつしました。
 私がお参りする金光教の教会には、先生がおられませんでした。これまで私たち信徒のことを祈ってくださっていた先生は、6年前に亡くなられていました。誰もいないお結界ですが、皆「先生が座ってくださっている」と思い、毎日お礼やお願い事を紙に書いて、お届けしてきました。何より、教会は、皆で集まる場所でもあり、私たちにとって、居心地の良い、笑いの絶えない場所だったのです。
 しかし、一方で「新しい先生はいつ来てくださるのだろう?」という思いもありました。
 11月のある日、そんな私の信心生活に大きな試練がやってきたのです。

 朝いつも一緒にお参りしていた信徒仲間の律子さんから電話がありました。「良枝ちゃん、今朝はとても眠たいよ」と言われ、「いいですよ。ご祈念して帰るので休んでいてください」と、私は返事をしました。
 それが律子さんと交わした最後の言葉となりました。律子さんは数時間後、 教会にお参りして、 畑に野菜の苗を植えに行ったそうです。そして、そのまま、くも膜下出血で土の上にしゃがむようにして亡くなっていたと聞きました。83歳でした。 
 50年もの間、教会を支えてこられた律子さんに私は幾度も励まされ、助けられてきました。大きな支えを失った私は、悲しみと不安で心がいっぱいになり、毎日教会のお広前に座っては、「これからどうしたらいいですか? 教会には先生もおられないのに…」と、泣きながら神様に問い掛けるようになりました。

うれしい届けが

 そんなある日、私の頭の中に、1枚のメモのことが浮かびました。それは、律子さんが亡くなった日の夜に自宅に伺った際、家のご神前横にあったもので、律子さんの字でこう書かれていたのです。
 「神様のなさることには無駄がないから、取り組むあなたの信心から神様のお働きが現れます」
 次の瞬間、私は気が付きました。
 「ああ、 あのメモは律子さんが私に残してくれた最後の教えだったんだ」 私の頰に涙がこぼれると、生前と同様に、律子さんの優しさに包まれたように感じました。
 「そうだ! 律子さんのようにはできなくても、私にできることから一生懸命に教会を守らせて頂こう。やるしかない!」
 そう心に誓った数日後、親教会の先生が、にこにことした表情で教会に来られ、言いました。
 「皆さんにうれしいお知らせです。新しい先生が来てくれるかもしれないですよ!」
 「えっ」 と思わず声が出ました。その時の驚きと喜びといったら言葉にできません。律子さんが残してくれたのはメモだけではなかったのです。

 それからの私たちは、「どうかこの話が成就しますように」と、心を込めて神様に祈り続けました。
 ひと月半がたち、天地も祝福してくれているかのように桜が美しく咲き始めた頃、待ちに待った新しい先生が、家族と共に教会の後継に来てくれました。その時の感激は今でも忘れることができません。
 あれから月日がたちましたが、つらいことがあるといつも、「良枝ちゃん、無駄なことはないからね。あなた次第よ」と、律子さんが神様と一緒に優しくそう言ってくれているような気がします。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。

(「心に届く信心真話」2018年11月25日号掲載)
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2019/12/25 08:00:00.043 GMT+9



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