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両親の祈りに守られて【金光新聞】

「無理なものは無理!」

 今年も1年が終わろうとしています。金光教の教会で生まれ育った私 (53)は、嫁ぎ先の教会のご神前にお花を生けながら、30年前の年末の、ある休日の出来事を思い出しました。
 「おはよう。急で悪いけど、隣の県にある親戚の教会まで車で送ってくれないか。電車で行く予定だったんだが、リウマチが悪化して手足の関節が腫れて痛くて」。朝食のため、居間に顔を出した私に、父が声を掛けてきました。
 けれども、その日、私は予定があったのです。「無理よ。今日は、仕事でお世話になっている人の所に年末のあいさつに行って、お昼は友達とランチ。その後、お正月用のお花の稽古にも行くんだから」。そう私が断ると、父は仕方なく、高速バスに乗って出掛けていきました。
 その様子を見ていた母の「何とかならなかったの」という一言に腹が立ち、私はつい「無理なものは無理!」と言い返し、もやもやした気持ちのまま家を出ました。

 最初の用件を済ませ、友人との待ち合わせ場所に、車を走らせていた時のこと。細い路地を左折すると、突然 「キキーッ」 というブレーキ音と、「ドンッ」 という衝撃音がしました。走ってきた自転車と、出会い頭にぶつかってしまったのです。
 慌てて車を止め、倒れている女の子の元へ駆け寄り、「大丈夫ですか」 と声を掛けると、「はい」 と返事が返ってきました。その元気な声に、私は思わず「金光様、ありがとうございます」と心の中でつぶやいていましたが、体の震えは止まりませんでした。その後、警察による現場検証も終わり、女の子も病院で診てもらいましたが、幸いかすり傷だけでした。

祈ってくれていた

 結局、 その後の予定は、全てキャンセルせざるを得なくなりました。冷静になってみると、予定は変更できなかったわけじゃなく、変更するのが面倒なだけだったんじゃないか、と思い始めていました。
 教会に帰ると、母は「無事でよかったね。実は、怒って出掛けていったあなたのことが心配になって、お母さん、ご神前でご祈念していたのよ」と言ってくれました。
 私はその言葉を聞いて、はっとし、涙があふれ出しました。母が私を祈ってくれていたという時刻は、まさに私が事故を起こした時間と同時刻だったのです。「神様が守ってくださった。お母さんが祈ってくれていたおかげで、大事故にならなくて済んだんだ。お父さんも忙しそうにしていた私のことを祈ってくれていたに違いない」。そう心から感じました。

 事故から日がたつにつれ、「もしかしたら、神様は私に何か気付いてほしかったのかも…」と、考えるようになり、日頃、両親が私に言っていた「神様のご用をさせて頂いていたら、後のことは神様が良いようにしてくださるからね」という言葉が思い浮かびました。と同時に、これまで自分のことばかりを優先していた自分の在り方に気付き、心の中で神様におわびしていました。
 それから半年後の春、私は金光教学院(金光教の教師養成機関)に入学し、教師となりました。自分のことばかりを優先していた私でしたが、現在、教会でご用をする上で、あの時思い出した両親の言葉が、 今の私にとっても、大きな励みとなっています。今日一日、変わらずご用ができていることにお礼を申し、 新年も元気にご用させて頂きたいと願っています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。

(「心に届く信心真話」2018年12月16日号掲載)

メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2019/12/27 06:37:06.257 GMT+9



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