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祖母の姿が私の信心に 【金光新聞】

食べることのありがたさ

 私(44)は、複雑な家庭環境で生まれ育ち、私の面倒は祖母が見てくれました。経済的な余裕はありませんでしたが、祖母は信心にあつく、朝晩はもちろんのこと、何かあるたびに神棚の前で手を合わせていました。私にも「神様はいつも見ておられるのだから、悪いことはしないんだよ」と常々言っていました。
 私は祖母に言われた通り、外出と帰宅の際には、家の神棚に手を合わせ、毎日お供えする水を替えたり、神棚の掃除を手伝っていました。教会はもちろん、金光教本部にも祖母に連れられて参拝していました。ご本部では朝早く起きて金光様のお出ましを一緒にお迎えし、言われるままに手を合わせたことは忘れられない思い出です。
 ある時、ご本部のお結界で、突然、祖母が四代金光様に、「貧乏をしています。なんとかならないでしょうか」とお願いをしたところ、金光様は「まずは、ご飯をおいしく食べられることのありがたさにお礼をしましょう」とおっしゃり、その言葉は私の心の中にずっと残っています。

 高校生になった私は、祖母の勧めに従って将来は医師になろうと心に決めていました。経済的な理由から国立大学の医学部を目指すことになりましたが、1年生の頃は、卒業も危ぶまれるほどの成績でした。そこで、自分なりに工夫し、真剣に勉強に取り組み、少しずつ成績は上がっていきましたが、合格まではほど遠い道のりです。不安な日々でしたが、神棚に向かって学業成就を願い、毎日、拝詞を唱えました。
 結局、現役合格はかないませんでしたが、「来年こそは!」と猛勉強し、夏には一人でご本部に参拝し、合格できるようお願いしました。そして翌年、晴れて北陸地方にある国立大学の医学部に合格することができました。つらい受験勉強を乗り切れたのは、決して自分一人の力ではなく、教会の先生や家族の祈り、何より神様のおかげだと思っています。

祖母から送られた神棚に

 北陸での一人暮らしが始まると、祖母から神棚一式が届きました。私は大学生となっても、それまでと変わらず毎日、拝詞を唱え、大学近くの教会にお参りしていました。
 現在、私は呼吸器外科医として忙しい日々を送っていますが、朝晩、自宅の神棚に手を合わせることは、今も欠かしていません。祖母の姿をまねて始めた信心ですが、何事も神様に手を合わせて願うことから、おかげを頂いていく祖母の在り方は、今では私自身の信心の中身です。
 幼い頃、 祖母と一緒に聞いた 「まずは、ご飯をおいしく食べられることのありがたさにお礼をしましょう」 という金光様のお言葉を思い、食事がおいしく頂けること、家族が健康であることにお礼を申し上げ、お役に立つ仕事ができるようお願いする毎日です。また、難しい手術の執刀前には、教会でお届けするのですが、 そのたびに、2人の娘たちの健やかな成長をお願いしています。きっと祖母も今の私と同じように、私のことを心から神様に祈ってくれていたと思うのです。

 生い立ちを含め、医師になってからも人間関係で苦悩するなど、私の人生は順風満帆だったわけではありません。しかし、どんな苦境に直面しても、それを乗り越えていく力と、難をおかげにしていく希望を失わない、そんな信心を伝えてくれた祖母の導きに、心から感謝しています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。

(「心に届く信心真話」2019年1月6日号掲載)
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2019/12/30 07:30:48.036 GMT+9



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