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神様が気付かせようと 【金光新聞】

私だけが苦しい

 私が10年前、三男を授かった時のことです。教会に参拝すると、私の携帯電話が鳴りました。
 電話は病院からで、何事だろうと思い、電話に出ると、医師から「先日の検査結果ですが、子宮がんの疑いがあります」と言われたのです。
 妊娠を喜んでいた矢先のことで、驚きと不安が押し寄せ、 泣きながらお結界でお届けをすると、先生は「もし、この連絡を自宅や車中で受けていたら、今以上に心配されたことでしょうが、教会で連絡を受けたのなら、神様は全てご存じの上でのことです。心配しなくて大丈夫ですから、一切をお任せしなさい」とお話しくださり、少し落ち着くことができました。
 数日後、不安な思いで再検査を受けると腫瘍は良性で、出産に影響はないとのことでした。ほっとしたのですが、時が過ぎるとそんなことさえ忘れていました。

 月日は流れ、臨月となり出産に臨みましたが、陣痛が始まって丸2日たっても、赤ちゃんはなかなか生まれてきてくれません。出てこようとしてもすぐに引っ込んでしまうのです。陣痛の痛みと焦りで苦悶(くもん)していると、次第に「神様は私に何か気付かせようとしているのでは?」という思いが湧いてきました。
 その時、助産師さんが「へその緒が赤ちゃんに巻き付いているかもしれない」と言い、私の体の向きを変えたり、おなかを押したりしていると、首に巻き付いていたへその緒が外れ、無事に生まれてきてくれたのです。
 元気な産声が聞こえ、何度も神様にお礼を申し上げるうちに、私はあることに気付きました。「なんで私だけがこんな苦しい目に」と思っていたのですが、赤ちゃんはおなかの中でもっと苦しんでいたということです。赤ちゃんに対して申し訳ないという気持ちになった瞬間、神様はこのことに気付いてほしかったのではないか、と思い当たることがありました。それは義父に対する私の心の在り方です。

一番つらいのは誰?

 結婚が決まった時、さまざまな事情から夫の両親と同居することになりました。義父母への不満はなかったのですが、自由気ままな生活ができないことに不足を感じ、事有るごとに夫に当たっていました。
 その後、義父はくも膜下出血で倒れて寝たきりとなり、介護が必要になりました。そんな中での三男の出産でした。義母は自宅での介護を望んでいましたが、私は「子育てもあるし、施設に預けたほうがいいのでは?」と、考えていました。
 しかし、出産にまつわる一連の事柄を通して、私の助かっていない心をまざまざと見せつけられた思いになったのです。「一番つらいのは、思うように体を動かせなくなったお義父さんであり、そのお義父さんを支えようとするお義母さんだったんだ。信心しているつもりだったけど、周りの人を責めてばかりで自分勝手な人間だった。これからはお義父さんのお世話も一生懸命させて頂こう!」。そう決心して退院すると、大変だと思っていた義父の介護が不思議と楽しいものになってきたのです。

 現在、義父は認知症も発症しましたが、いつも穏やかで優しげな表情です。子どもたちも義父のお世話を通して、心の成長のおかげを頂いています。出産を通して、自分の心を見詰めることの大切さと、家庭で起きてくる事柄を、信心の課題として取り組むことの大切さに気付くことができました。
※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています。

(「心に届く信心真話」2019年1月27日号掲載)
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2020/01/23 09:14:23.295 GMT+9



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