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信心辛抱で道は開ける【金光新聞】

左手に障がいが…

 私(63)には生まれつき、左手に障がいがあります。見た目には分からないものの、物をつかむことや、細かい作業が得意ではありません。
 小さい頃はいじめられ、つらい思いをたくさんしていた私に、兄は実家に帰ってくるたび、金光教のおかげ話をしてくれました。その内容は本当に驚くものばかりで、いつしか私も金光教の教会にお参りしたいと思うようになっていました。
 16歳で町の木工会社に就職し、寮生活を送ることになった私は、近所に教会があると知り、参拝するようになりました。ここから私の人生は大きく変わっていきました。
 働き始めた当初、同僚の補助的な作業しかさせてもらえなかった私は、実家に帰った時に「仕事を変えたい」と家族に打ち明けました。ところが、家族は皆「障がい者なんだから。辞めると雇ってくれる所はないよ」と、言いました。私は気持ちを理解してもらえず、決して晴れない心を抱えながら、辛抱して働き続けました。

 年月が流れ、同僚と同じ仕事を任せてもらえるようになり、後輩の指導にも当たるようになった頃、会社の経営が徐々に厳しくなってきました。取引先の人から「この会社ではあなたが一番仕事ができる。次は下請けをしてみたら?」と、うれしい声掛けがありましたが、先のことを思うと、次々に不安が押し寄せてきます。私は居ても立ってもいられなくなり、教会にお参りして、先生に話を聞いて頂きました。
 先生は「今の会社で一番の仕事ができるのなら他職に就いても大丈夫」と、勇気づけてくださいました。けれど私は、「自分には障がいがあるから」という思いにとらわれ、先の見えない不安を抱えたままでした。

再就職したものの

 その後、私は電気部品会社に再就職しましたが、仕事で使う油によって手が荒れるようになり、「仕事を辞めないと治らない」と医師から言われてしまいました。皆よい人たちばかりで、ずっと続けたいと思っていたものの、またもや退職することになったのです。
 しかし、治らなかったのがおかげでした。退職後、その会社は海外進出したことを機に国内の工場は統廃合され、多くの従業員が辞めざるを得なくなったそうです。
 私は教会に参拝し、あらためて神様へ就職のお願いをさせて頂きました。すると、願っていた管理人の求人に出合い、面接を受けることになったのです。面接で「あなたの性格の一番のポイントは何ですか?」と尋ねられた私は、み教えから「腹を立てないことです」と答えました。この言葉が決め手となったようで私は採用となり、25年間勤めさせて頂きました。

 振り返ると、これまでたくさんのつらいことがありましたが、そのたびに辛抱を続けてきたことで、私は起きてくる苦難を「つらい」と思わずに過ごせるようになっていました。
 金光教に出合って私の人生は変わりました。いや、変わったのは人生だけでなく、心なのかもしれません。周囲の人が思う以上に「障がいがあるから」と、何事にも慎重になっていた私。先が見えず、不安ばかりを抱えていた私。そんな私が今、同じように苦しんでいる人に幸せになってほしいと祈れるまでになったのです。この先もきっと神様がありがたい方向に歩ませてくださると信じて、人生を大切に、私らしく笑顔で生きていきたいと思います。


※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

(「心に届く信心真話」2019年3月17日号掲載)
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2020/05/05 06:10:54.912 GMT+9



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