突然崩れ去った
私(27)は、幼い頃から「全ての欠点をなくさないと、周りの人にきっと受け入れてもらえない」という不安を、どこかに抱えていたように思います。
私は中学生になると、その不安をかき消そうと勉強に励むようになりました。成績はぐんぐん上がりましたが、いつの間にか、成績の悪い同級生を見下すようになり、もっと上を目指して私の将来をより完璧なものにしたいとさえ思うようになっていました。
ところが、中学3年生の秋、突然病気になり手術を受けることになったのです。簡単な手術だったものの、「なぜ、受験を控えた大切な時期に、こんな目に…」という思いに取りつかれてしまいました。思い描いた完璧な人生が全て崩れ去ったように思え、感情の制御ができず、ついにうつ病になってしまいました。
それからは何も手が付かず、駄目になっていくような自分が嫌になり、リストカットを繰り返しました。焦燥感に駆られ、教科書を見ると怒りが湧き、鉛筆を握ることさえできなくなりました。中学卒業まで保健室登校を続け、希望していた進学校の受験はかないませんでした。
結局、自宅近くの高校に入学しましたが、不登校になりました。
高校の担任は、電話で熱心に登校するよう説得してくれましたが、私の気持ちが変わることはありませんでした。そんなある日、母が担任から親としての責任をとがめられてしまったのです。それまでどんなことがあっても、優しく受け止めようとしてくれていた母でしたが、この時ばかりは、母からひどく叱られました。母の思いに触れ、私の中に「変わらなきゃ」という思いが芽生え、登校することを決意しました。
不合格でも奇跡に思えた
思い切って登校してみたところ、同級生にも受け入れてもらえ、次第に学校にいても安心感を得られるようになりました。すると、見えてくることがありました。ずっと以前から、母が毎日、私の一日の立ち行きを神様に祈り、教会の先生にお届けしてくれていたことでした。母は、私が苦しんでいる間、同じように苦しみ、悲しんでくれていたことにやっと気付いたのです。
楽しい高校生活もあっという間に過ぎ、大学受験の時期を迎えました。将来、社会のお役に立つためにもしっかり勉強したいと思った私は、名門の大学を受験しましたが、結果は不合格でした。しかし、悔しさや悲しさは一切なく、自然と込み上げてくるありがたさで、涙がぽろぽろとこぼれました。うつ状態だった3年前のことを思えば、こうして自分が行きたいと願った大学を受験できたことが、奇跡のように思えたからでした。
さっそく母と教会に参拝することにしました。その道中、この3年間の出来事が次々に思い浮かびました。つらい日々のどん底からここまで、身の上に起こってきた一つ一つの変化をありがたく感じました。
お供えの封に「不合格御礼」と記して、母と一緒に教会のお結界で、神様にお礼を申し上げました。その後、6校の大学を受験したところ、その全てに合格するというおかげを頂きました。
私が不合格でもお礼ができたのは、私が体験してきた一つ一つの事柄の背後にある神様の愛情に、気付くことができたからだと思っています。神様のみ心を分からせてもらい、生きていくことが、どんな人生の扉でも開くことができる鍵になるのだと思います。
※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています
「心に届く信心真話」2019年4月7日号掲載
投稿日時:2020/05/07 07:40:08.261 GMT+9