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母が信じた神様だから【金光新聞】

宗教が好きになれない

 「先生。私はね、どうしても宗教が好きになれないんですよ」。佐藤家で仕えられた霊祭後の直会(なおらい)で、健二さん(68)が突然、大きな声でそう言いました。
 先代の教会長が亡くなり、後を継いだ夫(47)と私(42)が初めて信徒の自宅で仕えた祭典での出来事です。祭典が終わり、30人ほど集まった親族らと一緒に食事をしていました。芸達者な人も多く、盛り上がっていた席だけに、健二さんの一言がそれまでの雰囲気を一変させました。
 みんなの視線が向けられる中、健二さんが話し始めました。

 「15年前、大学生だった一人息子を心臓発作で亡くしました。思いも寄らないことでした。
 いつもなら、すんなりと起きてくる息子が、その日の朝はなかなか起きてこなかったのです。どうしたのかと思って部屋に行くと、息子は『頭が痛くて。熱もありそう』と言いました。ラグビー部で鍛えた体に似つかわしくないせりふに、私は『それくらいで!』と言って、部活の練習試合に送り出したのです。私は簡単に考えていましたが、その試合中、息子は発作で倒れ、そのまま息を引き取りました。
 その直後から、噂を聞きつけた宗教関係の人が次々と勧誘にきました。自責の念に押しつぶされそうだった私は、本当にわらをもつかむ思いでした。言われるがまま寄進したり、修行したりしましたが、いいように使われただけでした。全部うそっぱち。宗教は、心の隙間に付け入るあくどいものだと、嫌になるほど思い知らされました」
 その話にじっと耳を傾けていた夫が、「それは大変なことでしたね」と言うと、健二さんは即座に「先生、悪いけど、私は金光教という宗教も信じていません」と言い放ちました。夫はただ、「そうですか」と静かにうなずきました。

でも、先生…

 すると、健二さんは何かを感じたように私を見て、「でも、先生夫婦には好感が持てる。ふくよかな奥んの姿に、母のおもかげが重なり心が落ち着く…」と、言葉を飲み込むように少し無言になった後、再び語り始めました。
 「先生。ただね、母親のことは信じています。母が信じていた神様だけは信じられる。
 私が実家に帰省するたび、ご神前のある部屋で休まされたんですよ。すると、母が朝と夜に必ず祈りに来る。私の枕元近くに正座して、小声で一日のさまざまなことにお礼やおわびをした後、私や家族のことを一生懸命お願いしている。私は寝たふりをしながら、ありがたいのやらうれしいのやら、胸がいっぱいでした。母の祈りが、その日だけのことでないのは流ちょうな口調で分かる。『毎日、私が一番良いようになるよう、一心に祈ってくれていた…』。そう思うと、自宅で休む時も自然と母の姿が思われ、妻にばれないように目頭を押さえたものです。そんな母が信じていた神様は、私の中にも生きているのを感じるのです」

 健二さんがそう語り終えると、春風が氷を解かしたかのように、その場の雰囲気が一気に和らぎ、どぎまぎしていた私の緊張も解け、心にぬくもりを感じていました。
 子を思う親の情がそうであるように、神様は私と一緒にいてくださるだけではなく、いつも一歩先で良いようになるよう、愛情深く思いを掛けてくださっている。そのことを健二さんの言葉から実感できたのです。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

「心に届く信心真話」2019年5月12日号掲載
メディア 文字 信心真話 金光新聞 

投稿日時:2020/06/02 09:55:59.278 GMT+9



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