title.jpg

HOME › 神に願えば間違いない【金光新聞】

神に願えば間違いない【金光新聞】

まずは先生にお伺いして

 私(64)は、子どもの頃から母に連れられて教会にお参りしていました。教会長先生が月例祭後の教話で節を付けて、物語を語るかのようにおかげ話をされるので、浪曲のように聞こえたものです。
 先生はとても祈念力があり、母は先生の言葉を神様の言葉として頂いていました。どんな時も「まず神様にお願いしてから」と、必ず先生にお届けして物事を進めることを、信心の実践として取り組んでいました。
 姉が大学の看護科を卒業する際のことです。姉は、看護科の教員になることを志し、猛勉強の末、東京と大阪、両方の試験に合格しました。姉は東京行きを強く願っていたのですが、「まずは先生にお伺いしてから」という母の言葉に従い、2人で教会に参拝し、どちらに勤めた方がいいか、先生にお取次を頂きました。先生は心中祈念をされた後、「大阪に行きなさい」と答えられたのですが、姉はその言葉には従わず、東京の高等学校衛生看護科の教師になりました。
 
 姉には当時、交際している男性がいました。ところがその後、交際相手の就職先が大阪に決まったことから、2人は遠距離で交際することになったのです。2人は中間地点の名古屋で会うなど、さまざまな苦労をした末、結婚することになり、姉は東京を離れることになりました。しかし、大阪で看護科の教師を続けるためには、採用試験を受け直さなければなりませんでした。母は「やっぱり大阪になったでしょ。だから、最初から先生の言う通りにしておけばよかったのに」とこぼしつつも、先生にお届けして、姉の立ち行きを一生懸命お願いしていました。
 姉は、働きながら受験勉強をするしかないと覚悟していたのですが、勤務先の校長先生の計らいもあり、採用試験なしで大阪に転勤できるようになったのです。
 遠回りしたようでしたが、結局は教会の先生のおっしゃった通りの形に収まり、姉は仕事の上でも、結婚の上でも、願い通りのおかげを頂くことができ、定年まで看護科教師として勤め上げました。勉強家でこつこつと努力を惜しまない姉の姿は、母に似ていると思うのです。

母の背中を見ながら

 母は、50歳を過ぎてから、病院の保険請求事務の仕事を始めましたが、同じ仕事をするならと、通信教育で資格を取りました。職場では、中心的な役割を任されるようになり、請求間違いはほとんどなかったといいます。それは、仕事帰りに必ず教会に参拝し、神様にお願いしていたからだと母はよく言っていました。91歳となった今も、神様に今あるお礼を言い、お願いし、金光教の研修会や地域の講演会に参加する母の姿は、私の目標です。
 母の背中を見て育った私は、何事も神様にお願いし、神様と一緒に取り組めば間違いがない、必ずおかげになると思えるようになりました。縁あって教会でご用をする夫と結婚し、私も金光教教師となり、子育て、教会活動、ガールスカウト活動とさまざまなご用を通して、神様のおかげを頂いてきました。母に連れられ、何も分からず教会の先生のお話を聞いていた頃からの神様とのご縁を振り返ると、ひとえに、神様に導かれ、助けられての生活であったとしみじみ思わされます。
 
 令和のみ代を迎え、これからもしっかり神様にお願いし、神様に使って頂き、お役に立たせて頂きたいと心新たに思っています。

※このお話は実話をもとに執筆されたものですが、登場人物は仮名を原則としています

「心に届く信心真話」2019年6月23日号掲載
メディア 文字 金光新聞 信心真話 

投稿日時:2020/07/30 14:00:16.982 GMT+9



このページの先頭へ